小宮康孝

没年月日:2017/10/24
分野:, (工)
読み:こみややすたか

 江戸小紋の重要無形文化財保持者である小宮康孝は10月24日肺炎のため死去した。享年91。
 1925(大正14)11月12日、東京・浅草に生まれる。父(康助)は江戸小紋の初代重要無形文化財保持者(人間国宝)である。1938(昭和13)年、小学校を卒業すると、父のもとで本格的に厳しい修行を始める。42年、関東工科学校電機科に入学。昼は江戸小紋の板場、夜は学校の日々を送る。
 45年3月、空襲で住宅と工場が全壊し家業を中断。工場は被害に見舞われたが、型紙は父により持ち出され無事であった。康孝は甲府の連隊に入隊し復員する。2年後の47年、板場を再建する。
 50年、使用していた合成染料をさらに質のよいものに切り替え始める。52年、父(康助)が「助成の措置を講ずべき無形文化財」に選定される。この選定の際に文化財保護委員会(現、文化庁)によって江戸小紋という言葉が作られる。3年後、文化財保護法の改正に伴い重要無形文化財の制度が制定され、父は江戸小紋の重要無形文化財保持者として認定される。父のもとで研鑽をつむ。60年、第7回日本伝統工芸展で「江戸小紋 蔦」が初入選。以後、毎年出品をする。61年、父が死去。64年、第11回日本伝統工芸展で「江戸小紋着物 十絣」が奨励賞を受賞。
 60年代後半より、和紙製作者らの協力で型地紙の改良を始める。「よい型彫師がいなければ、江戸小紋は滅びる運命だ」という父の言葉に学び、型彫師の喜田寅蔵(1894-1977)等との関わりを大切にしたという。
 77年、初の個展「小紋百柄展」(東京・日本橋三越)を開催する。翌年、父についで、重要無形文化財保持者(江戸小紋)に認定される。認定後も江戸小紋の制作、そして普及にも尽力する。84年には工芸技術記録映画「型染め―江戸小紋と長板中形-」(企画:文化庁、製作:英映画社)が製作され、卓越した技術が映像で記録される。85年に東京都文化賞、88年に紫綬褒章を受章。同年、東京国立近代美術館工芸館にて「ゆかたよみがえる」展に出品する。1993(平成5)年、〓飾区伝統工芸士に認定される。97年、第4回かつしかゆかりの美術家展「江戸小紋小宮康助、康孝、康正三代展」を〓飾シンフォニーヒルズで開催する。翌年、98勲四等旭日小綬章を受章。2001年、東京都名誉都民の称号を得る。11年、〓飾区郷土と天文の博物館にて「小宮家のわざと人」展を開催する。さらに4年後の15年にはシルク博物館にて「今に生きる江戸小紋」展を開催する。
 康孝は混乱の戦後を乗り越え、父から受け継いだ江戸小紋というわざを受け継ぎ発展させた我が国を代表する染色家といえる。18年、息子康正も江戸小紋の分野で重要無形文化財保持者に認定され、孫も江戸小紋の仕事を手掛けており、脈々と江戸小紋の技は受け継がれている。
 作品は、東京国立近代美術館、MOA美術館、シルク博物館などに所蔵されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(456-457頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小宮康孝」『日本美術年鑑』平成30年版(456-457頁)
例)「小宮康孝 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824351.html(閲覧日 2024-04-20)

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