新井淳一

没年月日:2017/09/25
分野:, (デ)
読み:あらいじゅんいち

 テキスタイルデザイナーの新井淳一は9月25日、心筋梗塞のため死去した。享年85。
 1932(昭和7)年、3月13日、群馬県山田郡境野村(現、桐生市境野町)字関根に生まれる。祖父は撚糸業、父・金三は帯地を中心に織物業を営み、母・ナカ(仲)の生家は、当時織物業を営んでいた。
 38年、境野小学校に入学する。43年、11歳の時に学徒動員が開始され、鉄製力織機の供出が行われる。44年、桐生中学校(現、群馬県立桐生高等学校)に入学。47年の夏、高校の校長として赴任してきた野村吉之助の家で、初めてインドネシアなどの民族染織に触れる。同年、台風9号(通称カスリーン台風)により、境野町が甚大な被害を受け、終戦後に父が購入した織機は損傷し、戦前期に20台ほどあった鉄製の織機はすでに供出していて、付帯設備をすべて失い、大学進学の道が断たれる。
 50年、伯父の工場に入る。その後、佐々木元吉、野口勇三の元に通い、オパール加工を習得する。絹、綿、ウールなどの天然繊維による制作の傍ら、金銀糸織物の開発に励み、多くの新技法を開発し、特許権および実用新案種を取得。60年、第1回化学繊維グランドフェアで、61年度春夏用として開発した「ビーズ織」で通商産業大臣賞を受賞。60年代は、群馬大学教授・石井美治の研究所に約8年通い、オパール加工、バーンアウト(炭化除去)、メルトオフ(溶解)などの技法について研究する。66年、テキスタイルプランナーとして独立。72~87年にかけては山本寛斎、三宅一生等、国内外のデザイナーのコレクションのための素材制作を行う。83年、第1回毎日ファッション大賞特別賞、84年、第8回上毛芸術文化賞(上毛新聞社)を受賞。同年、日本民藝館の館展審査委員長に就任し、2006(平成18)年までつとめる。
 80年代以降は精力的に国内外への展覧会への出品し、個展を開催する。83年、初の個展「新井淳一織物展」(ギャラリー玄/東京)を開催。特に海外への出品が続き、「Junichi Arai Textile Exhibition」(1992年、テキスタイル美術館/トロント)等数々の展覧会へ出品する。2000年以降も、「新井淳一 進化する布」(2005年、群馬県立近代美術館)等が開催され、国内外での評価が高まる。12年には、これまでの活躍をまとめた『新井淳一―布・万華鏡』(森山明子著/美学出版)が刊行される。
 13年、81歳の時には国内において「新井淳一の布 伝統と創生」(東京オペラシティアートギャラリー)が開催され、足利市立美術館、町立久万美術館に巡回する。
 後進の育成にも尽力し、大塚テキスタイルデザイン専門学校、多摩美術大学、宝仙学園短期大学等や、国外でもロードアイランド造形学校、パーソンズ美術大学(ニューヨーク)、中国人民大学除悲鴻芸術学院(北京)、建国大学校(韓国)、東亜大学(釜山)などで講義を行っている。また、伝統工芸の分野にも尽力しており、結城紬技術アドバイザー、群馬県桐生織の技術アドバイザーも歴任。同氏は文筆家としても活動しており、「天衣無縫」(『WWD for Japan』/全148回)等が著名である。また、染織品コレクターとしても知られている。
 これらの活動が認められ、英国王室芸術協会(British Royal Society of Arts)から名誉会員に推挙され、Hon.R.D.Iの称号、またHonorary Doctoratesを03年にロンドン・インスティテュート(現、ロンドン芸術大学)、11年には英国王立芸術大学院(Royal College of Art)より授与される。
 作品は地元の大川美術館をはじめ、FIT(ニューヨーク州立ファッション工科大学)、クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館(ニューヨーク)、ロードアイランド造形大学、ニューヨーク近代美術館、フィラデルフィア美術館、V&A・ミュージアム(ロンドン)等多くの国内外の博物館・美術館に収蔵されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(453-454頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「新井淳一」『日本美術年鑑』平成30年版(453-454頁)
例)「新井淳一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824331.html(閲覧日 2024-03-05)

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