村形明子

没年月日:2017/09/05
分野:, (学)
読み:むらかたあきこ

 京都大学名誉教授、元日本フェノロサ学会長の村形明子は9月5日、膵臓がんのため京都市内の病院で死去した。享年76。
 1941(昭和16)年1月21日、札幌で生まれる。64年に東京大学教養学部教養学科を卒業後、米国へ留学しスミス・カレッジを経て、ジョージ・ワシントン大学で日本美術の収集家ウィリアム・スタージス・ビゲローの書簡研究により71年にPh.Dを取得。京都国立博物館を経て、78年に京都大学教養部に着任、同大学助教授、教授として研究を進める。2004(平成16)年に京都大学を退官し名誉教授となる。
 村形は、日本における本格的なアーネスト・フランシスコ・フェノロサ研究の道を拓いた一人である。とくにハーヴァード大学のホートン・ライブラリーが所蔵するフェノロサの遺稿群について、美術史家隈元謙次郎の依頼によりその整理・編集・邦訳を行い、75年1月より『三彩』等の誌上で紹介、さらに『ハーヴァード大学ホートン・ライブラリー蔵フェノロサ資料Ⅰ~Ⅲ』(ミュージアム出版、1982~87年)にまとめた功績は大きい。その後も『アーネスト・F・フェノロサ文書集成―翻刻・翻訳と研究 上・下巻』(京都大学学術出版会、2000・01年)を刊行するなど、フェノロサに関する基礎研究の確立に貢献した。
 また78年11月に大津市、大津市教育委員会、園城寺の主催で開催されたフェノロサ来日100年記念展および記念講演会を機に学会設立の機運が高まると、村形も世話人の一人として尽力。80年に日本フェノロサ学会が創設されると幹事として、2003年より09年まで会長として同学会の発展に寄与した。同学会誌『LOTUS』の誌名は1903年にボストンで刊行され、フェノロサも寄稿した同名の雑誌に因んで村形が提案したものである。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(453頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「村形明子」『日本美術年鑑』平成30年版(453頁)
例)「村形明子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824326.html(閲覧日 2024-04-24)

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