大塚英明

没年月日:2017/07/17
分野:, (学)
読み:おおつかひであき

 日本大学文理学部教授の大塚英明は、7月17日に死去した。享年69。
 1948(昭和23)年1月12日、千葉市に生まれる。76年3月、日本大学大学院文学研究科日本史学博士課程単位課程を修了し、同年4月より同大学文理学部史学科にて助手をつとめた。78年4月文部省に文部技官として任官し、文化庁文化財保護部美術工芸課歴史資料部門に勤務した。84年4月に同部門文化財調査官、1997(平成9)年4月に同部門主任文化財調査官に任ぜられた。この間93年から96年にかけて文化財管理指導官を併任した。2001年4月には独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所の協力調整官に転じた。03年に文部省を退官し、日本大学文理学部教授となり、死去の前月まで教鞭を執った。
 この間、文化審議会文化財分科会第一専門調査会委員(2004年~14年)、文化審議会文化財分科会委員(2015年~17年)等文化財行政や、日本生活文化史学会理事・常任理事、千葉県郷土史連絡協議会常任理事等の学会関係の委員等をつとめた。
 大学院生、助手時代は、吉田松陰を主たる研究対象とし、「吉田松陰の思想系譜をめぐって」(『史叢』18、日本大学史学会、1974年)、「吉田松陰と蘭医青木研蔵ー蘭学摂取の一過程をめぐって」(『近代日本形成過程の研究』雄山閣出版、1978年)等複数の論考を発表した。
 文化庁では、歴史資料部門に23年間所属し、同部門の草創期以来の文化財保護行政を長年担った。同部門は75年の文化財保護法改正により新たに誕生した部門で、歴史上重要な人物又は事象に関する遺品のうち学術的価値の高いものを対象とした。文化財保護行政上の歴史資料の概念は独特のもので、絵画・彫刻等従来の美術工芸品の分野とは質を異にし、一括資料を含む幅広い分野の文化財の調査・指定・修理・防災等に従事した。96年の文化財保護法改正では、科学技術分野を加えて近代の文化財も保護の対象となり、時代、分野ともに保護の対象が拡大した。同部門における仕事のありようは「歴史資料の指定調査と保存修理をふりかえって」(『月刊文化財』、2007年11月)に詳しい。
 この間、重要文化財の指定調査の成果等を反映し、「内閣文庫保管・国絵図、郷帳一管見」(『三浦古文化』33、三浦古文化研究会、1983年)、「林靖と『寛永諸家系図伝』編纂の周辺」(『MUSEUM』508、1993年)、「『寛永諸家系図伝』編纂における延引について」(『日本歴史』559、1994年)、「万延元年遣米使節、随行医師・川崎道民の海外帰国報告―道民自筆本『航米実記』の紹介をめぐって」(『MUSEUM』546、1997年)、『羊皮紙に描かれた航海図』(至文堂、2002年)等の多分野にわたる論考を発表した。また、歴史資料部門における近代の文化財保護行政の端緒を担ったことから、「近代の歴史資料の保存・活用と課題」(『文化庁月報』346、1997年)、「日本の科学、産業遺産の保存と活用」(『産業遺産―未来につなぐ人類の技』東京文化財研究所、1999年)等、当該分野における文化財保護の基本的な考え方を述べた著述がある。
 一方、文化財の管理や公開、重要文化財公開施設の建築・設備の指導にあたる文化財管理指導官をつとめた経験から「公開施設の在り方-文化財の保存と活用をめぐって-」(『設備と設計』オーム社、1995年)等がある。また、同官在任中の95年に阪神淡路大震災が発生し、被災文化財の保護、文化財防災対策の充実に携わった。
 大学では、文化財学・博物館学を担当し、文化財に即した仕事を一貫して続け、日本大学文理学部資料館の設立(2006年)とその後の運営にも尽力した。没後「大塚英明先生の逝去を悼む (博物館学・文化財学特集号)」(『史叢』日本大学史学会、2018年)が刊行された。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(449-450頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「大塚英明」『日本美術年鑑』平成30年版(449-450頁)
例)「大塚英明 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824296.html(閲覧日 2024-04-24)
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