田原桂一

没年月日:2017/06/06
分野:, (写)
読み:たはらけいいち

 写真家の田原桂一は6月6日、肺がんのため東京都内の病院で死去した。享年65。
 1951(昭和26)年8月20日京都市左京区に生まれる。中学生の頃より写真家であった祖父から写真技術を学ぶ。高校卒業後の71年、実験劇団「レッド・ブッダ・シアター」に照明・映像担当として参加。72年同劇団の公演のため渡欧、公演終了後パリに残り、写真家として活動し始める。
 パリの自室の窓から撮影した「窓」シリーズ、パリの都市風景をめぐる「都市」シリーズの二つの初期作品で注目され、77年にアルル国際写真フェスティバル新人賞を受賞、評価を確立した。78年からは芸術家のポートレイトのシリーズ「顔貌」、79年からは金属やガラスなどさまざまな素材に落ちた光とそこにつくられる影が織り成す抽象性を帯びた連作「エクラ」などにとりくむ。84年写真集『TAHARA KEIICHI 1973―1983』(ゴローインターナショナルプレス)を刊行、同書により84年日本写真協会賞新人賞、85年第10回木村伊兵衛写真賞を受賞。また85年第一回東川賞国内作家賞、88年にはフランス在住で50歳以下の写真家を対象とするニエプス賞を受賞するなど多くの賞を受ける。1993(平成5)年にはフランス芸術文化勲章シュバリエを受章した。
 写真集としてまとめられた仕事も多く、主なものに『世紀末建築』(全6巻、三宅理一との共著、講談社、1984年)、『メタファー』(求龍堂、1986年)、『顔貌』(PARCO出版局、1988年)、『天使の廻廊』(新潮社、1993年)などがある。
 多彩な写真表現のほか、80年代後半からは光を素材にした立体作品やインスタレーション、環境造形、建築デザインなどにもとりくんだ。その主な作品に89年、北海道恵庭サッポロビール恵庭工場に設置された「光の庭」、2000年、パリ市のコミッションでサンマルタン運河地下水道に設置された「光のエコー」、07年のパリ第七大学新校舎外壁デザインなどがある。04年には写真と立体作品による個展「光の彫刻」を東京都庭園美術館で開催、その後帰国し09年に東京で株式会社KTPを設立、アーティストとしての経験、知見に基づく建築コンサルティング事業、企業のブランディング事業などをてがけた。
 14年にはパリのヨーロッパ写真美術館で個展「光の彫刻」を開催、16年には何必館・京都現代美術館で初期から近作にいたる写真作品により構成された「光の表象 田原桂一 光画展」を開催。また同年、写真集『Photosynthesis 1978―1980 光合成 田中泯 田原桂一』(スーパーラボ)を刊行。これは舞踊家田中泯を被写体とした、70年代末にパリやローマ、東京などいくつかの都市で断続的に行われたフォトセッションで撮影され、長く未発表であった作品であり、翌17年にはプラハ・ナショナル・ギャラリーで、同シリーズによる個展「Photosynthesis 1978―1980」を開催するなど、晩年、あらためて写真作品に注力し、精力的に活動を続けていた。東京での個展「Les Sens」(ポーラミュージアムアネックス、銀座)開催の直前に死去。プラハで開催された個展を再構成し、同シリーズの国内での初めての展示となった「田原桂一『光合成』with田中泯」展が、死去の三ヵ月後、原美術館で開催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(445頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「田原桂一」『日本美術年鑑』平成30年版(445頁)
例)「田原桂一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824266.html(閲覧日 2024-04-27)

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