高田良信

没年月日:2017/04/26
分野:, (学)
読み:たかだりょうしん

 仏教史学・歴史学者で法隆寺長老、第128世住職を務めた高田良信は、老衰のため4月26日に死去した。享年76。
 1941(昭和16)年2月22日、奈良県奈良市に生まれる。幼名は信二。53年、法隆寺に入り、良信と改名。当時の管主だった佐伯良謙(1880~1963)の徒弟となる。龍谷大学文学部仏教学科を卒業し、65年、龍谷大学大学院仏教学専攻修士課程修了。82~1992(平成4)年、法隆寺執事長。93年、法隆寺住職代行に就任。94年、法隆寺管主(代表役員)就任。95~98年、聖徳宗第5代管長・法隆寺第128世住職を務める。自坊は法隆寺実相院。
 東大寺に縁のある家に生まれ育ち、当時の東大寺管長・平岡明海の紹介により12歳で法隆寺に入る。幼い頃より寺域から掘り出される古瓦や古材、周辺の古墳に強い関心を持ち、大学院在学の頃には寺内の過去帳や年表、室町時代の子院配置図を自作するなどして、法隆寺の学問的な整理・体系化を志し、のちに「法隆寺学」を提唱。生涯に渡って史料や宝物の調査・研究に取り組んだ。
 67年に金堂壁画の再現事業が、68年には若草伽藍の再発掘、同じ頃、『奈良六大寺大観』(岩波書店)刊行のための宝物調査が始まり、考古や歴史、建築、絵画・彫刻の研究者らと交流する機会を多く持つ。71年4月、聖徳太子1350年御忌にて会奉行を務める。81年、聖徳太子1360年御忌事業として高田が提案した『法隆寺昭和資財帳』の編纂事業が開始される。宝物の調査・目録化を行い、のちに全15巻の『資財帳』(小学館、1991~1992年)が刊行された。97年、法隆寺史編纂所を開設。98年10月、百済観音堂の落慶法要を営む。「印鑰継承の儀」や「慈恩会」などの途絶えていた法隆寺の古儀再興にも努めたほか、81年にNY・ジャパンソサイエティ―で開催された法隆寺宝物展や88年の「百済観音像展」(東京国立博物館)など、国内外の展覧会に数多く携わった。
 主要な著作は次の通りである。共著『法隆寺』(学生社、1974年)、『法隆寺のなぞ』(主婦の友社、1977年)、『近代法隆寺の歴史』(同朋舎出版、1980年)、『法隆寺の秘話』(小学館、1985年)、共著『四季法隆寺』(新潮社、1986年)、『「法隆寺日記」をひらく:廃仏毀釈から100年』(日本放送出版協会、1986年)、共著『追跡!法隆寺の秘宝』(徳間書店、1990年)、『法隆寺の〓を解く』(小学館、1990年)、共著『再現・法隆寺壁画』(NHK取材班編、日本放送出版協会、1992年)、『法隆寺の〓と秘話』(小学館、1993年)、『法隆寺建立の〓:聖徳太子と藤ノ木古墳』(春秋社、1993年)、『世界文化遺産法隆寺』(吉川弘文館、1996年)、『法隆寺教学の研究』(聖徳宗総本山法隆寺、1998年)、『法隆寺辞典』・『法隆寺年表』(柳原出版、2007年)、『法隆寺学のススメ―知られざる一四〇〇年の軌跡―』(雄山閣、2015年)ほか多数。没後の17年10月、朝日新聞デジタルでの連載(2016年4月~2017年3月)をまとめた『高田長老の法隆寺いま昔』(構成:小滝ちひろ、朝日新聞社)が出版された。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(441頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「高田良信」『日本美術年鑑』平成30年版(441頁)
例)「高田良信 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824231.html(閲覧日 2024-05-21)

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