内田啓一

没年月日:2017/02/08
分野:, (学)
読み:うちだけいいち

 美術史家・早稲田大学文学学術院教授の内田啓一は、癌のため2月8日に死去した。享年56。
 1960(昭和35)年11月1日、神奈川県横浜市鶴見区に生まれる。79年3月、神奈川県立横浜翠嵐高校卒業。83年3月、早稲田大学第二文学部を卒業し、同年4月、同大大学院文学研究科に入学。1989(平成元)年10月、同研究科博士後期課程を満期退学、町田市立国際版画美術館に学芸員として採用される。2000年4月に昭和女子大学に専任講師として着任し、04年4月、同大助教授、05年4月、同大教授。11年4月より早稲田大学文学学術院准教授、13年4月、同大教授。女子美術大学、早稲田大学、東北芸術工科大学、拓殖大学、青山学院大学、成城短期大学、昭和女子大学で非常勤講師として教鞭を執ったほか、奈良国立博物館調査員、世田谷区文化財保護審議会委員を務めた。
 早稲田大学で日本美術史家・星山晋也の指導を仰ぐ。大学院在学時から鎌倉時代に西大寺を復興させた僧・叡尊に関わる仏教絵画に関心を寄せ、修士論文「八字文殊画像について―叡尊を中心とした西大寺本・旧東寺本の考察―」を提出した。国際版画美術館に勤務してからは、「仏教版画入門」(1990年)、「奈良・元興寺仏教版画」(1992年)、「大和路の仏教版画」(1994年)、「版になった絵・絵になった版―中世日本の版画と絵画―」(1995年)、「名品でたどる―版と型の日本美術」(1997年)など、とりわけ仏教版画に関する展覧会を数多く担当する。従来、研究対象としては等閑視されがちだった摺仏・印仏の作例を展覧会・学術論文を通じて数多く紹介し、その受容や制作背景を丹念に解き明かすことで仏教版画研究を大きく進展させた。他方、修士論文以来の関心テーマであった西大寺流に関する研究にも精力的に取り組み、02年には博士論文「中世律宗諸流派における造像とその特徴―西大寺流を中心に―」を早稲田大学大学院文学研究科に提出し、03年6月に博士号を取得した。
 大学に籍を移して以降は後進の指導と育成に努めながら、作品調査と論文の執筆を続けた。作品の深い鑑識から出発し、その制作を巡る時代背景や関与した人物を生き生きと浮かび上がらせ、一見結びつきのなかった作品同士の関連性を示すことで、研究成果を体系的に積み重ねていった。自らが真摯に作品と向き合い、図様の分析と制作背景に関する鋭い考察を第一とするその研究姿勢は、指導を受けた学生に少なからず影響を与えた。美術史研究に対する情熱的な態度、そして何よりも大らかで明るく、衒いのない人柄は多くの同業者・学生に慕われていた。
 主要な著書に、共著『中世・勧進・結縁・供養 大和路の仏教版画』(東京美術、1994年)、『文観房弘真と美術』(法藏館、2006年)、『江戸の出版事情』(青幻舎、2007年)、『後醍醐天皇と密教』(法藏館、2010年)、『日本仏教版画史論考』(法藏館、2011年)があるほか、没後、『美しき日本の仏教版画 すりうつしまいらせるほとけ』(東京美術、2018年)が刊行された。
 主要な論文は次の通り。「八字文殊画像の図像学的考察」(『南都仏教』58、1987年)、「宋請来版画と密教図像―応現観音図と清凉寺釈〓像納入版画を中心に―」(『佛教藝術』254、2001年)、「サンフランシスコ・アジア美術館所蔵文殊菩薩図像について―宋本図像と形式の踏襲―」(『佛教藝術』310、2010年)、「個人蔵清凉寺式釈〓如来画像について―西大寺像との関わりを中心に―」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』61第3分冊、2016年)ほか多数。業績は『内田啓一教授 著作目録』(「内田啓一さんを偲ぶ会実行委員会」編集、2017年)に詳しい。また、20年5月に『内田啓一中世仏教美術論集(仮)』(法藏館)が刊行予定である。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(430-431頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「内田啓一」『日本美術年鑑』平成30年版(430-431頁)
例)「内田啓一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824156.html(閲覧日 2024-04-26)

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