宮野秋彦

没年月日:2016/12/07
分野:, (学)
読み:みやのあきひこ

 名古屋工業大学名誉教授で建築研究者の宮野秋彦は12月7日に死去した。享年93。
 1923(大正12)年10月15日に名古屋で生まれ、1945(昭和22)年に東京工業大学工学部建築学科を卒業した。東京工業大学の助手、助教授をつとめた後、名古屋工業大学に異動し、助教授、教授をつとめた。この間、建築材料中の熱や湿気の移動に関する研究を行い、「建築物に於ける温度変動に関する研究」で62年2月12日に東京工業大学から工学博士の学位を受けた。また83年~84年には日本建築学会の副会長をつとめた。名古屋工業大学退官後は福山大学の教授となり、その後、名古屋工業大学名誉教授、日本建築学会名誉会員、中国文物学会名誉理事となる。
 宮野は名古屋工業大学在職中に、多くの文化財が伝統的な倉の中で保存されてきたことに着目して、文化庁文化財保護部建造物課(当時)の文化財調査官であった半澤重信とともに全国の倉の環境調査を行い、成果を日本建築学会の大会などで長年発表し続けた。やがて研究対象を屋台蔵や遺構などにまで広げ、斉藤平蔵亡き後、建築環境工学の第一人者として、文化財における温湿度環境の整備に欠かせない専門家となった。特に86年から1990(平成2)年にかけて行われた中尊寺金色堂覆堂の改修工事では、金色堂が入るガラスケース内の新しい空調システム設計について中心的な役割を果たした。それまでの空調システムは、空調空気を金色堂のある室内に吹き出す方法であったが、風が表面の境界層を吹き飛ばして金色堂の表面を乾燥させることを避けるため、宮野は空気を強制的に動かさないで湿度を一定に保つことを提唱した。宮野の提言を受けて、改修工事ではガラスケース全体の断熱を高め、ガラス以外の壁面には調湿ボードを用い、湿度が一定値を越えた時だけ入り口に置いた除湿器が作動するシステムを採用した。除湿器だけを用いて加湿器を用いないことにしたのは、ガラスケース内で測定された長年の記録を宮野が解析して、中尊寺の環境ではガラスケース内の湿度が上がることはあっても、乾燥しすぎることはないことがわかったからである。修理委員会に於ける宮野の献身的な協力もあって、改修工事後は67%RH前後の相対湿度に、金色堂のあるガラスケース内は保たれている。
 宮野はその後も、多くの文化財の保存について協力を続けた。岩手県立博物館におけるコンクリート屋根スラブ内の水分挙動を丹念に調べ、長期にわたり館内がアルカリ性性状になっていた原因を突き止め解決した。また木質系調湿材、石質系調湿材に加え土質系調湿材を対象に、調湿建材によって環境湿度の調節を図る取り組みは、博物館に加えて、対象を社寺(薬師寺玄奘三蔵院伽藍大唐西域壁画殿、静岡県指定文化財可睡斎護国塔ほか)、城郭(熊本城「細川家舟屋形」)、歴史的近代建造物(神山復生記念館)、整備事業の復原建物(富山市北代縄文広場)にも広げ、文化財の保存環境制御に多大な功績を残した。
 主な著書として『建物の断熱と防湿』(学芸出版社、1981年)、『生きている地下住居』(彰国社、1988年、共著)、『屋根の知識』(日本屋根経済新聞社、1994年、共著・監修)、『屋根の物理学』(日本屋根経済新聞社、2000年)、『新版 屋根の知識』(日本屋根経済新聞社、2003年、共著・監修)がある。1972年日本建築学会賞(論文)「建築物における熱ならびに湿気伝播に関する一連の研究」、2001年勲三等瑞宝章。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(564-565頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「宮野秋彦」『日本美術年鑑』平成29年版(564-565頁)
例)「宮野秋彦 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818906.html(閲覧日 2024-03-28)

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