内田繁

没年月日:2016/11/21
分野:, (デ)
読み:うちだしげる、 Uchida, Shigeru*

 インテリアデザイナーの内田繁は11月21日、膵臓がんのため死去した。享年73。
 1943(昭和18)年2月27日、神奈川県横浜市に生まれる。66年桑沢デザイン研究所を卒業。69年に座り方によって椅子の形が自由に変化する「フリーフォームチェア」を制作、家具や室内空間の既成概念を問い直す姿勢を打ち出す。70年内田デザイン事務所を設立、大テーブルを採用して知らない者同士のコミュニケーションが生まれるようにした六本木のバー「バルコン」の設計(1973年)をはじめ、74年の「Uアトリエ」、77年のアパレルショールーム「吉野藤」、79年のバー「ジャレット」のインテリアを発表。「ジャレット」では、横尾忠則が描いたジャズミュージシャンのイラストレーションをタイル画にして床と腰壁に使用した。81年にパートナーの三橋いく代、西岡徹とスタジオ80を設立し、レストラン「ア タント」(1981年)、「操上スタジオ」(1983年)、バー「ル クラブ」(1985年)、季寄料理「ゆず亭」(1986年)、ショールーム「青山見本帖」(1989年)等を手がける。とくに70年代から80年代にかけて、世界的に注目を集める日本のファッションデザイナーとインテリアデザイナーが組む仕事が増える中で、内田は山本耀司のブティックを手がけ、雑多なものを排除したミニマルな空間を実現、その後の商業空間のデザインに多大な影響を与える。88年、抽象的なデザインによる椅子「セプテンバー」(1977年)がニューヨーク、メトロポリタン美術館の永久コレクションに収められる。同年毎日デザイン賞を受賞。1989(平成元)年には内田がアートディレクションを務めた博多のホテル「イル・パラッツォ」が完成、イタリアの建築家アルド・ロッシをはじめ世界各国のクリエイターが集結したことで話題を集める。またロッシとの出会いから、あらためて日本の固有文化を研究する必要性を感じ、その成果として89年に「閾 三つの二畳台目」、93年に「受庵、想庵、行庵」と題した茶室を発表、後者は95年のイタリアを皮切りに世界各地を巡回し、日本の“もてなし文化”の精神を引き継ぎながら現代の茶室をデザインしたとして高く評価された。2000年に芸術選奨文部大臣賞を受賞。07年に紫綬褒章を受ける。著作も多く、主要なものとして以下の図書が挙げられる。
『住まいのインテリア』(新潮社、1986年)
『インテリア・ワークス 内田繁・三橋いく代とスタジオ80』(三橋いく代、スタジオ80と共著、六耀社、1987年)
『椅子の時代』(光文社、1988年)
『日本のインテリア』全4巻(沖健次と共著、六耀社、1994-95年)
『門司港ホテル』(アルド・ロッシと共著、六耀社、1998年)
『インテリアと日本人』(晶文社、2000年)
『家具の本』(晶文社、2001年)
『内田繁with 三橋いく代』(三橋いく代と共著、六耀社、2003年)
『茶室とインテリア』(工作舎、2005年)
『普通のデザイン』(工作舎、2007年)
『デザインスケープ』(工作舎、2009年)
『戦後日本デザイン史』(みすず書房、2011年)

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(562頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2019年10月17日 (更新履歴)
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