濱田幸雄
重要無形文化財「土佐典具帖」の保持者濱田幸雄は、10月31日、すい臓がんのため死去した。享年85。
濱田幸雄は、1931(昭和6)年2月17日高知県吾川郡いの町に生まれ、46年から父・濱田秋吾に師事して伝統的な土佐典具帖紙の製作技術を習得し49年に独立した。72年土佐典具帖紙保存会会員として他の5名の技術者とともに第8回キワニス文化賞を受賞。73年「土佐典具帖紙」が記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として選択され、濱田が所属する土佐典具帖紙保存会が関係技芸者の団体として指名される。77年経済産業大臣指定伝統的工芸品「土佐和紙」の伝統工芸士として認定される。80年「土佐和紙(土佐典具帖紙・土佐清張紙・須崎半紙・狩山障子紙・土佐薄葉雁皮紙)」が高知県保護無形文化財に指定され濱田が所属する土佐和紙技術保存会が保持団体に認定される。1991(平成3)年労働大臣表彰(卓越した技能者)93年勲六等瑞宝章を受ける。95~97年土佐和紙工芸村で研修生の指導に携わる。2001年7月12日付けで重要無形文化財「土佐典具帖」の保持者として認定される。
濱田が漉く土佐典具帖紙は、高知県仁淀川流域で生産される良質の楮を原料とし、消石灰で煮熟した後、極めて入念な除塵や小振洗浄をを行い、黄蜀葵の粘液を十分にきかせた流漉の工程では、渋引きの絹紗を張った竹簀とそれを支える檜製漆塗の桁を使用する。紙漉き動作では、簀桁を激しく揺り動かして素早く漉き、楮の繊維を薄く絡み合わせる。漉き上がった紙は「カゲロウの羽」と称されるほど薄く、繊維が均一に絡み合って美しく、かつ強靱なため、タイプライター原紙として大量に輸出され、比類のない極薄紙として知られていた。しかし、昭和30年代以降、機械漉の典具帖紙の普及に押され手漉の需要が減少したため技術者も激減した中で、濱田は土佐典具帖紙に拘り、他種の紙を漉くことを避けていた。現在、典具帖紙に代表される楮の極薄紙は、世界中の美術館博物館で文化財補修用資材として利用されている。なお97年以来製作技術の指導を受けていた孫・濱田洋直が工房を引き継いでいる。
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「濱田幸雄」『日本美術年鑑』平成29年版(560-561頁)
例)「濱田幸雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818871.html(閲覧日 2024-10-16)
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