小嶋一浩

没年月日:2016/10/13
分野:, (建)
読み:こじまかずひろ

 建築家の小嶋一浩は10月13日食道癌のため死去した。享年57。
 1958(昭和33)年12月1日、大阪に生まれる。82年に京都大学工学部建築学科を卒業後、東京大学大学院修士課程にて原広司研究室で学ぶ。86年、同大学博士課程在学中に、研究室の同級生と建築家集団「シーラカンス」を共同設立(1998年に「シーラカンスアンドアソシエイツ」に改組、2005年に「CAt(シーラカンスアンドアソシエイツトウキョウ)」と「CAn(シーラカンスアンドアソシエイツナゴヤ)」へ更に改組)。個人が設計を指揮するのではなく、集団で議論を重ねながら設計を進めるという「コラボレイション」の方法を取る。
 特に学校建築の分野で活躍し、代表作に千葉市立打瀬小学校(1995年)、千葉市立美浜打瀬小学校(2006年)、宇土市立宇土小学校(2011年)、流山市立おおたかの森小・中学校・おおたかの森センター・こども図書館(2015年)などがある。
 千葉市立打瀬小学校では、児童が自発的な行為を展開できる空間を生み出すことを試み、教室・ワークスペース・中庭・アルコーブ・パスをひとまとめにした単位を校舎敷地に散りばめ、その間に多様な使い方ができる外部空間を設計した。オープンスクール(個々の生徒の興味・適性・能力に応じた教育制度)の概念を具体化した先鋭的な設計が評価され、1997(平成9)年に日本建築学会賞(作品)を受賞した。
 その10年後、同じ幕張新都心地区に計画した千葉市立美浜打瀬小学校では、この概念をさらに発展させ、児童の経路の在り方、音・温熱環境、多様な学習形態、将来の施設転用を重視した設計が行われた。建物は2枚の厚いスラブから構成され、その上に教室・プール・アリーナ・ウッドデッキなどを配置し、流動的で多様な居場所を許容する空間を作り上げた。
 熊本県宇土市立宇土小学校では長いスラブにL形の壁を配置することによって開放的な空間を作り上げ、温暖な立地に配慮して、全開可能な開口部を設置するなど、風通しを考慮した設計が行われている。この校舎は2013年に村野藤吾賞、14年に日本建築家協会賞を受賞している。
 L形の壁によって作り上げられた流動的な空間構成と開放的な空間を実現する全開可能な開口部という要素は、地域施設との複合である「流山市立おおたかの森小・中学校・おおたかの森センター・こども図書館」で引き続き設計の要点となった。さらに、校舎と隣接する街と森との関係性に配慮した設計が行われ、「建物のどの場所からも、この森や周辺の街並みが感じられるような開放的な空間が実現されていることは、この規模を思えば驚くべきことである」と評価され、16年に日本建築学会賞(作品)を受賞した。
 この他、人間の行為と動線を手掛かりにして、多様な使われ方ができる空間を生み出すことを中核の概念として、ビッグハート出雲(1999年)などの公共施設、スペースブロック上新庄(1998年)などの集合住宅の設計を手掛けた。
 大学での教育にも尽力し、2005~11年に東京理科大学教授、11年から横浜国立大学大学院Y-GSA教授を務めた。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(555-556頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小嶋一浩」『日本美術年鑑』平成29年版(555-556頁)
例)「小嶋一浩 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818831.html(閲覧日 2024-09-19)

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