加藤九祚

没年月日:2016/09/11
分野:, (学)
読み:かとうきゅうぞう

 国立民族学博物館名誉教授で人類学者の加藤九祚は、仏教遺跡の発掘調査で滞在していたウズベキスタンの病院で9月11日(日本時間9月12日)死去した。享年94。シルクロードに憧れ、シルクロードを遊歴し、ついに生涯発掘の場をアムダリヤ河畔に見いだし、その現場で生涯を終えた学究の歩みは、波瀾の歴史を背負う苦難の道そのものであった。
 1922(大正11)年5月18日、韓国、慶尚北道漆谷(テルコク)郡若木面(ヤンモクミヨン)に生まれる。1932(昭和7)年、宇部で働く兄をたよって来日。山口県宇部市立宇部小学校に入学、韓国姓李を加藤に改称。その後、乙種長門工業学校を経て39年に宇部鉄工所に入社する。太平洋戦争が始まった41年に横浜に移住、横浜第一中学校で高等学校入学者検定試験を受け合格。42年、上智大学予科に入学し、ドイツ語を学び、翌43年に予科を仮卒業する。44年、仙台の工兵第二連隊に志願入隊し、陸軍工兵学校(松戸)を経て工兵見習士官となり、関東軍の第101連隊に配属され、ついで第139師団の工兵連隊に転属する。45年、満州東南部敦化飛行場で武装解除を受け、ソ連軍の捕虜としてシベリアの収容所を転々とする。50年に明優丸で舞鶴に上陸、帰国をはたす。翌51年に上智大学文学部ドイツ文学科に復学し、『リルケ詩論』を学ぶ。53年、卒論『ロシアにおけるゲーテ像』(ドイツ語)を書き上げ卒業。恩師で神学者の小林珍雄の紹介によって平凡社に入社し、『世界百科辞典』などの編集に関わる一方で『シベリアの歴史』(紀伊國屋新書、1963年)や訳書『西域の秘宝を求めて』(新時代社、1969年)を出版した。71年に平凡社を退職するが、その直前に出版された岡正雄の編になるネフスキーの論集『月と不死』(東洋文庫・185)の末尾に「ニコライ・ネフスキーの生涯」という長大な解説を付した。この解説が5年後熟成し、『天の蛇 ニコライ・ネフスキーの生涯』(河出書房、1976年)として結実し、大佛次郎賞に輝いた。退職したあと念願のシルクロードの旅にでる。旅の模様は『ユーラシア文明の旅』(新潮選書、1974年)に記された。この旅の途次に出合った梅棹忠夫に招かれて75年に国立民俗博物館教授に就任し、ソ連とモンゴルの民俗学標本収集と研究に従事する。83年に論考「北東アジア民族学史の研究―江戸時代日本人の観察記録を中心として」によって大阪大学学術博士号を取得する。86年、国立民族博物館を定年退職した後、相愛大学人文学部教授に就任し、ついで88年、創価大学文学部教授となり、創価大学シルクロード学術調査団を組織し、同学シルクロード研究センター長に就任する。その間にウズベキスタンとキルギスで発掘調査をおこない、日本の中央アジアにおける発掘調査活動の基盤をつくる。1995(平成7)年に『中央アジア歴史群像』(岩波新書)を上梓。98年に創価大学を退職すると、自費でウズベキスタン科学アカデミー考古学研究所と共同でテルメズ郊外のカラテパの仏教遺跡の発掘に着手する。意気に賛同した奈良薬師寺が「テルメズ仏教跡発掘基金」を創設して支援をした。この支援は逝去の日を迎えるまでつづけられた。
 99年、南方熊楠賞を受賞。2001年、加藤九祚が一人で編み上げる年報『アイハヌム』(東海大学出版)を創刊する。ロシアや中央アジアに関する発掘活動の成果や活躍する考古学者の自伝、希少な論文・書籍を自在に翻訳紹介するこの活動は編集者の退職によって幕を下ろす12年までつづいた。その間09年に、この活動は「アカデミズムの外で達成された学問的業績」として高く評価されパピルス賞が贈られた。加藤九祚が古曳正夫・前田耕作とともに「オクサス学会」を創設したのもこの年である。「自由な発想と囚われない言葉、憶見や仮説の交錯からこれまでにはないなにものかが泡立ち始める思考の活動の場を生みだす」ことが狙いであった。10年、国際シンポジウム「ウズベキスタンの古代文明及び仏教―日本文化の源流を尋ねて」を東洋大学と奈良大学の協力をえて東京と奈良で開催する。同年、「ウズベキスタンにおける考古学を通じた学術交流の促進」によって外務大臣表彰を受けた。11年にはエドヴァルド・ルトヴェラゼの雄作『考古学が語るシルクロード史』(原題:中央アジアの文明・国家・文化)を翻訳出版(平凡社)、同年、瑞宝小綬章を受ける。書き下ろし『シルクロードの古代都市―アムダリヤ遺跡の旅』(岩波新書、2013年)が最後の著作となった。
 16年9月3日、立正大学ウズベキスタン学術調査隊とともに終生愛してやまなかったカラテパへ入ったのが最後の旅となった。「オクサス学会紀要」3号(2017年6月)はその冒頭に、「労働者であり、学究であり、思索の人であり、行動の人であり、夢見る人であり、文筆の人であり、大地を掘り下げる人であり、人間をこよなく愛する人であり、酒盃に詩の言葉を浮かべた人であり、ひたすら人びとに愛された人」加藤九祚に追悼の言葉を捧げている。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(553-554頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2019年10月17日 (更新履歴)
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