松尾敏男

没年月日:2016/08/04
分野:, (日)
読み:まつおとしお

 日本画家の松尾敏男は8月4日、肺炎のため死去した。享年90。
 1926(大正15)年3月9日、長崎県長崎市今籠町(現、鍛冶屋町)にて、石鹸会社を経営する父稲吉と母スエの間に、9人兄弟の末っ子として生まれた。1929(昭和4)年に父親の会社倒産のため一家そろって上京、淀橋区(現、新宿区)大久保に居住する。32年東京市大久保尋常高等小学校(現、新宿区立大久保小学校)入学。在学中には東京市の図画コンクールで学校代表となった。38年東京府立第六中学校(現、東京都立新宿高等学校)へ入学、体操に熱中し大会でも活躍するが、病気を機に画家を志すようになる。43年3月に同校卒業後は、技法書をたよりにしばらく独学で学ぶ。そのかたわら、美術雑誌に掲載されていた堅山南風の«雨後»(第2回新文展、1938年)に感銘を受け弟子入りを決意、隣家の美術ジャーナリスト垣見泰山の紹介で同年10月その門に入った。自由な方針の南風塾では古画の模写をとおして運筆を学び、また写生にも勤しんだ。47年3月第2回日本美術院小品展に「春容」が初入選するも、秋の本展では落選が続き、49年9月第34回院展へ出品した「埴輪」で初入選を果たす。なお47年より52年までは「泉華」と号した。50年第5回小品展の「牡丹」で奨励賞受賞(12回でも受賞)。51年9月第36回院展へ「森の自画像」を出品し、日本美術院院友に推挙された。58年12月斎藤愛と結婚。60年9月第45回院展へ同年1月に生まれた長女由佳にちなんだ「森の母子像」を出品。この頃までは花や鳥、人物を主題に構成的な画面をつくり上げていたが、以降はモチーフが単純化、抽象化され、幻想的な画面が展開された。また、自らが人間的にもっている不安感、あるいは生と死といったイメージを画面に描き出すようになる。62年9月第47回院展の「陶土に立つ」で奨励賞受賞、以後4年連続で受賞し、65年日本美術院特待推挙。この間、63年11月に次女麻里誕生。また64年11月に師南風が依頼を受けた日光・輪王寺本地堂(薬師堂)の鳴龍復元にあたり助手を務めた(1966年7月完成)。師の制作を間近で観察し、絵の具は塗るのではなく描かなければと考えを改め制作した「廃船」を66年9月の第51回院展へ出品、日本美術院賞を受賞する(68年、70年にも受賞)。67年6月北海道の積丹半島へ取材旅行、68、71年にも北海道を訪れる。この頃より各地へ旅行し、そこでの体験や感動をもとにした制作が行われるようになる。69年には「北限」(第54回院展)で奨励賞受賞。70年9月第55回院展へ「樹海」を出品して3度目の日本美術院賞受賞、作品は文化庁買上となり、翌71年2月日本美術院同人に推挙された。同年1月「今日の日本画―第1回山種美術館賞展―」へ「翔」を出品、優秀賞受賞。10月初の個展を彩壺堂サロンで開く。72年3月には「海峡」(第56回院展、1971年)で昭和46年度芸術選奨新人賞受賞。73年5月日本橋三越にて個展開催。穏やかな色彩による花鳥画にて新境地を見せた。75年1月初めてインド・パキスタン旅行へ出かけ、4月の第30回春の院展へ「デカン高原」を出品する。以後78年まで毎年インドへ旅行し、「サルナート想」(第63回院展、1978年、文部大臣賞、昭和53年度日本芸術院賞)などを制作。この間、75年9月の第60回院展では「燿」で文部大臣賞受賞、78年4月日本美術院評議員に任命される。79年秋には初めて中国を訪れ、翌80年3月第35回春の院展へ「出土」を出品。82年以降毎年中国を訪れ、「連山流水譜」(第67回院展、1982年)をはじめ数々の作品を制作した。80年3月第2回日本画秀作美術展に「篝火」が選抜される(以後25回まで16、20回を除き毎回選抜)。82年6月日本美術院監事。85年3月イタリアへ取材旅行に出かける。同年7月高山辰雄、稗田一穂らと結成した日本画研究会「草々会」の第1回展を資生堂ギャラリーにて開き、「ヴェネチアの聖堂」など3点を出品。86年3月ギリシャ・トルコへ取材旅行に出かけ、9月の第71回院展へギリシャのミコノス島で出会った神父を描いた「ミコノスの聖堂」を出品する。87年多摩美術大学美術学部絵画科日本画専攻教授となり、96年3月退官。その後客員教授となり、99年4月名誉教授となる。87年11月回顧展「花のいのちを描く―松尾敏男展」(伊勢丹美術館ほか)を開催。1994(平成6)年12月日本芸術院会員となる。95年湯島天神天井画に白龍を揮毫。翌96年パリの三越エトワールにて個展を開く。98年4月勲三等瑞宝章受章。2000年9月第85回院展へ「月光のサンマルコ」を出品、以後もイタリアに取材した作品を多数描いた。同年10月文化功労者。09年12月日本美術院理事長就任。10年2月には「画業60年松尾敏男回顧展」(日本橋三越ほか)が開催される。12年11月文化勲章受章。13年4月には長崎市特別栄誉表彰を受け、同年10月長崎名誉県民の称号が贈られた。歿後、従三位に叙せられた。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(549-550頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「松尾敏男」『日本美術年鑑』平成29年版(549-550頁)
例)「松尾敏男 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818786.html(閲覧日 2024-11-01)

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