小川光三

没年月日:2016/05/30
分野:, (写)
読み:おがわこうぞう

 写真家の小川光三は5月30日、特発性血小板減少症のため死去した。享年88。
 1928(昭和3)年3月6日、仏像を専門とした写真家で飛鳥園(奈良市)を設立した小川晴暘の三男として奈良県奈良市に生まれる。兄・光暘は同志社大学教授で美術史家。旧制郡山中学校に在学中、兵役を志願し通信兵となる。画家を志し、47年、大阪市立美術館付設美術研究所で日本画と洋画を学ぶ。48年に晴暘から飛鳥園の経営と撮影を引き継いだ。50年、文化財保護法の施行に伴って、文化財保護委員会(現:文化庁)の委嘱で全国各地の仏像撮影に5年間従事する。57年、初の個展を大阪・阪急百貨店で開催する。
 父・晴暘の時代のモノクロ写真とは異なり、カラー写真に求められた正しい発色、そしてインパクトのあるライティングを追求した光三は、試行錯誤の末、鏡を用いて堂内に自然光を巡らせて仏像を撮影する手法にたどり着いた。一冊で一体の仏像を取り上げた『魅惑の仏像』シリーズでは、アングルやライティングの変化によって仏像の多様な表情を引き出している。なかでも興福寺・阿修羅立像の、少年らしい柔和さではなく戦闘神としての厳しい表情を切り取った写真には、造像の歴史的背景や当初の安置方法までも踏まえて仏像を撮影するという、光三独自の視点が反映されている。
 主な写真集・著作に『飛鳥園仏像写真百選』(学生社、1980年)、『やまとしうるはし』(小学館、1982年)、『魅惑の仏像』(全28巻、毎日新聞社、1986~96年)、『ほとけの顔』(全4巻、毎日新聞社、1989年)、『あをによし』(小学館、1996年)、『興福寺』(新潮社、1997年)、『奈良 世界遺産散歩』(新潮社、2006年)、『山渓カラー名鑑 仏像』(山と渓谷社、2006年)など。生涯にわたって奈良の風景と仏像の写真を撮り続けた一方で、若い頃から仏像が造られた背景でもある古代史の研究に没頭し、『大和の原像』(大和書房、1973年)や『ヤマト古代祭祀の謎』(学生社、2008年)を刊行する。『大和の原像』では、奈良の桧原神社を基点とした同緯度線上に、祭祀跡や社寺が一直線に位置するという「太陽の道」を提唱した。日本環太平洋学会理事を務めたほか、愛知県立芸術大学や白鳳女子短期大学の講師を歴任。2010(平成22)年、奈良県立万葉文化館で「写真展 小川晴暘と奈良飛鳥園のあゆみ―小川光三・金井杜道・若松保広―」開催。2011年、朝日新聞大阪本社で東日本大震災チャリティー「奈良の仏像」展開催。また、海外でも多数の個展が開催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(545頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小川光三」『日本美術年鑑』平成29年版(545頁)
例)「小川光三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818751.html(閲覧日 2024-03-29)

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