田中光常

没年月日:2016/05/06
分野:, (写)
読み:たなかこうじょう

 動物写真家の田中光常は5月6日、肺炎のため死去した。享年91。
 1924(大正13)年5月11日、静岡県庵原郡蒲原町(現、静岡市清水区蒲原)に生まれる。本名・光常(みつつね)。祖父は土佐藩出身の明治の政治家田中光顕。第一東京市立中学校(現、千代田区立九段中等教育学校)を経て、1944(昭和19)年函館高等水産学校養殖学科(現、北海道大学水産学部)を卒業。海軍航海学校を経て海軍に任官、終戦により除隊する。戦後すぐの時期には小田原で漁業に従事するが体をこわし、その療養中に写真に興味を持つ。写真家松島進が主宰する研究会などで技術を習得し、53年頃からフリーランスの写真家として仕事を始めた。
 初期は科学雑誌や園芸雑誌などのための撮影に従事、しだいに動物写真を専門とするようになり、63年より2年にわたって『アサヒカメラ』誌に「日本野生動物記」を連載。これにより64年第14回日本写真協会賞新人賞、第8回日本写真批評家協会賞特別賞を受賞するなど、動物写真家としての評価を確立した。66年からは「続・日本野生動物記」を同誌に連載、これらは68年『日本野生動物記』(朝日新聞社)としてまとめられる。以後、国内だけでなく65年のアフリカ取材をはじめとした世界各地での動物の撮影にとりくみ、その仕事は数多くの著書にまとめられた。その主なものに、『カラー 日本の野生動物』(山と渓谷社、1968年)、第21回日本写真協会賞年度賞の受賞作となった『世界動物記』(全5巻、朝日新聞社、1970-72年)、『日本野生動物誌』、『ガラパゴス』、『オーストラリア』、『アフリカ』、『野生の家族』(いずれも教養カラー文庫、社会思想社、1976年)、『野生の世界』(ぎょうせい、1984年)、『狼:シベリアの牙王』(潮出版社、1990年)など。また動物や自身の撮影をめぐる文章をまとめた『世界の動物を追う:動物撮影ノート三十年』(講談社、1979年)、『動物への愛限りなく:世界の野生動物紀行』(世界文化社、1991年)などがある。
 科学雑誌の仕事をきっかけに家畜などの飼育されている動物から始まり、試行錯誤を重ねながら野生動物の自然な姿や表情をとらえる生態写真へと発展していった田中の仕事は、機材や情報の限られた時代にあって、まさにこの分野のパイオニアワークであり、同時期の岩合徳光とともに日本の動物写真家の先駆的存在として、後進にも大きな影響を与えた。
 日本パンダ保護協会会長、(財)世界自然保護基金(WWF)日本委員会評議員などを歴任し、自然保護活動にも尽力した。長年の功績に対し、1989(平成元)年には紫綬褒章、95年には第45回日本写真協会賞功労賞、2000年には旭日小綬章を受けた。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(541-542頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「田中光常」『日本美術年鑑』平成29年版(541-542頁)
例)「田中光常 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818726.html(閲覧日 2024-03-29)

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