橋本明夫

没年月日:2016/04/20
分野:, (工)
読み:はしもとあきお、 Hashimoto, Akio*

 鋳金家の橋本明夫は4月23日、食道がんにより死去した。享年66。
 1949(昭和24)年12月25日、東京都品川区に生まれる。70年、東京藝術大学工芸科に入学、鋳金を専攻し、西大由、原正樹に師事する。74年同大学を卒業し、その卒業制作がサロン・ド・プランタン賞を受賞する。さらに同校の大学院修士課程に進学し、76年その修了制作である「LANDSCAPE」が大学買上となる。大学院修了後、現在のさいたま市見沼区宮ヶ谷塔に大学院時代に設立した「蜂の巣工房」で作家活動をはじめ、79年、東京赤坂の日枝神社の依頼を受け、鎮座五百年記念の大形の天水桶を制作する。
 1991(平成3)年、東京藝術大学の常勤助手に採用され、99年助教授、2005年に教授となる。85年、日本橋三越で開催された、「現代鋳金工芸展」で「高村豊周記念賞」、同年の天理市で開催された第5回「天展」で奨励賞を受賞した。
 大学教員になってからは、日本古来の真土型、セラミックシェルモード、フルモールド技法などの鋳造法によって制作を行い、その材質も鉄、ブロンズ、ステンレス、アルミニウムと多種の金属を使用するようになる。あらゆる技法を駆使し、材質の特徴を効果的に引き出して表現した作品には、はなやかさとは対照的に、情緒的で静謐な印象を与えるものが多い。「天と地」、「星月夜」など鉄による気流シリーズの山や雲には気韻が醸成され、「香りの樹」、「VAPOR VASE」のステンレスによる作品には独特の存在感を示すものとなっている。
 そうした自身の制作活動以外に力を注いだのが、文化財の修復と復元であった。09年から13年まで、伊勢神宮第62回式年遷宮御神宝の白銅鏡31面を制作するが、それも古代から伝わる惣型と箆押しによる徹底的な在来工法によるものであった。一方、東京国立博物館蔵の荻原碌山の「女」の石膏像からの復元鋳造では、三次元デジタル撮影による原型造を行い、在来と新たな技法の実践的研究に取り組んだ。修復では12年、杉野服飾学園の銅造大形宝塔(江戸時代)に従事した。また港区から受託制作による「品川駅港南2丁目道路アートワーク」では鋳金科の学生とともに、「〓〓の塔」、「ボラード人」、「街路灯」、「方位プレート」などを制作し、公共物に芸術性を取り込んだ町作りを行った。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(541頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2019年10月17日 (更新履歴)
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