白岡順

没年月日:2016/03/17
分野:, (写)
読み:しらおかじゅん

 写真家の白岡順は3月17日、肝細胞がんのため死去した。享年71。
 1944(昭和19)年3月28日、愛媛県新居浜市に生まれる。67年信州大学文理学部自然科学科物理学専攻を卒業。同年より関東学院大学工学部で実験助手を務める。勤務のかたわら、東京綜合写真専門学校に学び、72年同校研究科を卒業した。
 写真学校卒業を機に、勤めを辞め、シベリア鉄道経由でヨーロッパを放浪する旅に出る。73年アメリカに渡航。以後、ニューヨークを拠点に79年まで滞在する。同地ではコロンビア大学の語学プログラムで英語を学び、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ、インターナショナル・センター・オブ・フォトグラフィー、スクール・オブ・ヴィジュアル・アーツなどで写真を学ぶ。リゼット・モデル、ネーサン・ライオンズ、フィリップ・ハルスマン、ジョージ・タイスらに師事。79年からはパリに拠点を移し、同地で写真家として活動する。2000(平成12)年帰国。01年に東京造形大学デザイン学科教授に就任、写真を教える(2009年に退任)。08年には新宿区市ヶ谷に、レンタル暗室・ワークショップ・ギャラリーの機能を持つ複合施設「カロタイプ」を開設し、後進の指導・育成にとりくんだ。
 作家活動はニューヨーク時代から始まり、80年の初個展「野分のあと」(銀座ニコンサロン、東京)以後、ヨーロッパを中心に国内外で数多くの個展を開催。また89年の「ある芸術の発明」展(写真発明150周年記念、フランス国立近代美術館・パリ国立図書館共同開催、ポンピドゥー・センター、パリ)に出品するなど、グループ展にも多く参加した。
 90年パリ写真月間参加企画として開催された「午後の終りの微風」(ギャラリー・ジャン=ピエール・ランベール、パリ)により、ヨーロッパ写真館グランプリを受賞。パリから帰国した2000年には、川崎市市民ミュージアムで個展「秋の日」が開催された。この際に同館で同時開催された「陰翳礼讃」展でもその作品が展示された。同展はフランス国立図書館の写真キュレーターを長く務め、早くから白岡の作品を評価したジャン・クロード=ルマニーの企画によるもので、谷崎潤一郎の同題の随筆に着想を得て、「陰翳」をテーマに企画されたこの写真展に選ばれたことにも現れているように、白岡の作品は暗く深みのあるモノクロプリントを特徴とする。ほぼ一貫して35mmフィルムによるモノクロ作品にとりくんだ白岡の仕事は、いわゆるスナップショットの方法で撮影されながら、独特の静謐さと密度をあわせ持つ作風で知られる。そのクオリティの高いプリントワークによって完成される作品世界の故か、白岡は写真集というかたちで仕事をまとめることがなかったが、一方でその作品は、国内外の主要美術館にコレクションされるなど、国際的に高い評価を受けた。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(537頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「白岡順」『日本美術年鑑』平成29年版(537頁)
例)「白岡順 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818686.html(閲覧日 2024-04-25)

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