宮本忠長

没年月日:2016/02/25
分野:, (建)
読み:みやもとただなが

 建築家の宮本忠長は2月25日、胆管腫瘍のため死去した。享年88。
 1927(昭和2)年10月1日、長野県須坂市に生まれる。45年早稲田大学専門部建築学科に入学、48年同理工学部建築学科を卒業後、佐藤武夫建築事務所に入所。64年に宮本忠長建築設計事務所を設立し、信州を中心に数多くの建築を手がけた。
 宮本の業績のうち最も知られているのは、やはり小布施の町並みにかかる一連の業績(1987年吉田五十八賞、91年毎日芸術賞)であろう。76年の北斎館の設計及び町並修景計画の策定に始まり、今日まで続く息の長い取り組みは、優れた個々の建築デザインのみならず、地域の人々との丁寧な対話、信頼関係に裏打ちされた総合的な作業である。その成果は、現在の魅力溢れる小布施の姿を見れば一目瞭然であろう。
 その他にも、長野市立博物館(1981年、82年日本建築学会賞)、信州高遠美術館(1992年)、ケアポートみまき(1995年)、水野美術館(2002年)といった大屋根が印象的な作品を数多く設計しており、現代における和風表現の系譜に位置づけることができる。
 小布施の他でも、その作品のほとんどが地域に根ざし、その風土を織り込んだ作風であることが宮本の特徴の一つであるが、同時にその影響力は地域に留まらず、いわば全国区の建築家として活躍したことも特筆すべきである。森鴎外記念館(1995年、島根県津和野町)、北九州市立松本清張記念館(1998年、2000年BCS賞)、キトラ古墳体験学習館(2016年、奈良県明日香村)などがその代表的なものと言えよう。
 また、モダニズムの良き継承者としての側面もあり、例えば独立後初期の作品であるあづみ農協会館(1967年)には、当時の時代相を色濃く見ることができる。御代田町立御代田中学校(2011年)や、しなの鉄道中軽井沢駅くつかけテラス(2013年)などに見られる静謐なガラスのファサードと勾配屋根との組み合わせは、単なる和風表現に留まらない宮本の作風の奥深さを示す。そうした系統の集大成が、松本市美術館(2002年、03年建築業協会賞、03年BCS賞、04年日本芸術院賞)であろう。
 一方で、THE FUJIYA GOHONJIN(2006年)、蛭川公民館(2008年)など、既存の歴史的建造物の改修、増築も手がけている。
 2002年から08年にかけては日本建築士会連合会の会長をつとめ、我が国における建築家を巡る社会情勢が大きく揺らぐ中、建築家・建築士のあるべき職能、地位の向上等についても尽力した。
 主な著書に、『住まいの十二か月』(彰国社、1992年)、『森の美術館』(共著、中央公論事業出版、2003年)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(535-536頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「宮本忠長」『日本美術年鑑』平成29年版(535-536頁)
例)「宮本忠長 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818676.html(閲覧日 2024-04-27)

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