吉田桂二
建築家の吉田桂二は12月9日死去した。享年85。
1930(昭和5)年9月16日、岐阜県に生まれる。45年大阪陸軍幼年学校に入学、終戦後岐阜市立中学校へ復学し卒業。47年に東京美術学校(現、東京藝術大学)に入学し、吉田五十八、吉村順三、山本学治らに師事する。52年に建築学科卒業後、建設工学研究会・池辺研究室に入所。57年に吉田秀雄、小宮山雅夫、戎居研造とともに連合設計社を設立する(1959年に連合設計社市谷建築事務所に改組)。戦後、住宅の量産化が進み、プレハブ工法が木造住宅の主流になっていくなかで、日本の風土と伝統文化に根ざした住宅を追及し、伝統木造構法による住宅の設計に従事した。
63年の地中海への旅行を皮切りに日本国内、ヨーロッパ、中東、アジア、アフリカへと、世界の民家、集落を旅する。76年に、居住者が集団離村し廃村になっていた信州の大平宿を初めて訪れ、当時非常勤講師を務めていた日本大学理工学部の学生とともに4年間にわたり調査を行う。飯田市民が主体となっていた保存運動に協力し、80年に観光資源保護財団(現、日本ナショナルトラスト)が実施した調査に参加した他、民家の保存改修事業の設計監理をボランティアとして担当した。83年に「大平の民家とその系譜」と題する論文で日本大学より工学博士号を取得。この活動をきっかけに、全国の町並の調査と保存、町づくり、古民家の再生に携わることになり、保存と創造の両立を以降の課題として自ら実践した。
86年に観光資源保護財団の依頼を受け飛騨古川(岐阜県古川町、現、飛騨市)の調査に参加。この際、かつて町役場が建ち、その後広場となっていた敷地に飛騨の匠の大工道具を展示するための施設・地域集会所を提案。この計画は後に日本ナショナルトラストのヘリテージセンターの一つ、「飛騨の匠文化館」として実現する。これをはじめとする飛騨古川における一連の修景計画の業績により、1991(平成3)年に吉田五十八賞特別賞を受賞した。
同時期には茨城県古河市の町づくりにもかかわり、かつて出城のあった地に町づくりと文化の拠点として古河歴史博物館を設計する。本館はRC造だが、塗屋造りをモチーフに、屋根を瓦葺とし、卯建など古河の町で見られる要素をデザインに取り入れる。また、隣接して建つ鷹見泉石邸を復原し、分館とする。この博物館の設計と周辺の修景における歴史的景観保存への取り組み、地域に密着した設計が評価され、92年に日本建築学会賞(作品賞)を受賞した。
この他、熊川、内子、熊本など日本各地で町並み保存と歴史的景観を活かした町づくりに取り組み、古民家の再生にかかわるとともに、葛城の道歴史文化館(1986年)、坂本善三美術館(1996年)、大乗院庭園文化館(1997年)、おぐに老人保健施設(2000年)、内子町図書情報館(2002年)、高瀬蔵(2005年)など、町づくりの拠点となる多くの地域公共建築を設計した。
2003年から連合設計社市谷建築事務所において「吉田桂二の木造建築学校」を開校し、実務に携わる建築士、地域工務店、大工を対象に木造建築の設計の技術を教えた。
『住みよい間取り』(主婦と生活社、1980年)、『納得の間取り―日本人の知恵袋』(講談社+α新書、2000年)、『木造住宅設計教本』(彰国社、2006年)などの木造住宅設計マニュアル、『保存と創造をむすぶ』(建築資料研究社、1997年)など古民家の再生と町づくりを扱う図書、『日本の町並み探求伝統・保存とまちづくり』(彰国社、1988年)、『旅の絵本 地中海・町並み紀行』(東京堂出版、1997年)ほか表現力に富んだスケッチを収集した絵本など、多数の著書がある。
登録日:2018年10月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「吉田桂二」『日本美術年鑑』平成28年版(562-563頁)
例)「吉田桂二 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/809211.html(閲覧日 2024-10-15)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1991年06月 第16回吉田五十八賞決定