小島功

没年月日:2015/04/14
分野:, (漫)
読み:こじまこお

 漫画家の小島功は、4月14日脳出血のため東京都港区内の病院で死去した。享年87。
 1928(昭和3)年3月3日東京府東京市下谷区(現、台東区)に生まれる。本名功(いさお)。家は洋服仕立業。西尾久小学校卒業。小学校時代、図画の教員にデッサンの大切さを説かれた。16歳頃から画家を志し、川端画学校に学び、戦時中は夜間に太平洋美術学校に通った。先輩に加藤芳郎がおり、異なる作風を模索する。『小国民朝日』、『科学グラフ』や漫画投稿欄のある雑誌に投稿を頻繁に行なう。女性像に定評があった杉浦幸雄の作風に影響を受ける。小島のマンガは大人向けであり、一コマないしは1頁が基本、線描でみせる。47年、久里洋二、長新太らと独立漫画派を結成。48年創刊の『新漫画』に1コマ漫画を描く。鼻筋がとおり、顎がすっきりとしたグラマーな女性像は「昭和の美人画」の一例として大衆的な人気を獲得、乾いたエロチシズムを醸し出している。56年久里洋二、針すなおらと同人誌『がんま』発行。同年10月より8コマ漫画「仙人部落」を『週刊アサヒ芸能』に連載、59年間2681回におよんだ代表作となる。週刊誌を舞台に活躍、「俺たちゃライバルだ!」『週刊漫画サンデー』(1960年から連載)、「あひるヶ丘77」『週刊サンケイ』(1960年から連載)、「うちのヨメはん」『週刊現代』(1966年から連載)と60年代に人気が定着する。60年『週刊漫画サンデー』の表紙画を手がける。64年日本漫画家協会設立に参加。65年からは日本テレビ放送網の深夜番組「11PM」にレギュラー出演、また同時期東京12チャンネル(現、テレビ東京)の「朝日新聞・ワイドニュース」のコメンテーターとなる。68年「日本のかあちゃん」(『週刊漫画サンデー』)で第14回文藝春秋漫画賞受賞。73年加藤芳郎とマンガ専門誌『ユーモリスト』を発行。74年河童のキャラクターで知られる日本酒の黄桜の広告を清水昆より引き継ぐ。70年代の代表作として「ヒゲとボイン」『ビックコミックオリジナル』(1974年から連載)がある。80年『朝日新聞』に政治漫画を連載。1990(平成2)年紫綬褒章受章。92年日本漫画家協会理事長に就任(2000年まで)。2000年勲四等旭日小綬章受章。2010年漫画家協会名誉会長に就任。作品集に『小島功美女画集画業六〇年 喜寿記念』(青林堂、2005年)があり、「仙人部落」はアニメ化されDVDがでている。

出 典:『日本美術年鑑』平成28年版(537-538頁)
登録日:2018年10月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小島功」『日本美術年鑑』平成28年版(537-538頁)
例)「小島功 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/809041.html(閲覧日 2024-04-17)

外部サイトを探す
to page top