武者小路穣

没年月日:2010/11/11
分野:, (学)
読み:むしゃこうじみのる、 Mushakoji, Minoru*

 和光大学名誉教授で、日本古代・中世文化史の研究者であった武者小路穣は、11月11日、心不全のため死去した。享年89。1921(大正10)年3月27日、奈良県奈良市に生まれる。東京府立一中、第一高等学校(文科甲類)を経て、1941(昭和16)年に東京帝国大学文学部入学し、国史学を専攻する。卒業半年前に、第二次大戦末期の兵力不足をおぎなうため、舞鶴海軍機関学校に教官として入隊、敗戦後復員。翌年の46年から48年まで日本読書講読利用組合に勤務。その後、明星学園高等学校教諭を経て、70年に和光大学文学部に赴任。以後、1991(平成3)年に定年退職するまで後進の育成に取り組んだ。文学、絵巻、襖絵、仏像など、実に幅広い対象を扱い、そこから歴史を説き起こそうとする独自の研究スタイルを追求した。こうしたスタイルの確立には、とりわけ次の3人の研究者に影響を受けたことを述懐している。まず、実証史学のありようや史料の扱いの基本を学んだのは学生時代の恩師坂本太郎からであった。また46~48年の出版関係の仕事を通じて、戦後歴史学に大きな影響を与えた石母田正との知遇を得たが、このことが歴史を考える上で非常に大きかったという。戦後に出版された石母田の一連の論考に、武者小路自身も大きな衝撃を受けており、その石母田から文学・美術分野での古代中世を掘り下げるように励まされたことがその後の研究の方向性を決定したようだ。石母田との共著『物語による日本の歴史』(学生社、1957年初版、ちくま学芸文庫、講談社学術文庫版として再刊)の出版準備過程で、自宅にほど近かった石母田宅に毎晩のように通い、薫陶を受けたという。さらに、美術史学者の宮川寅雄、日本史学者の川崎庸之の誘いを受け、さまざまな分野の研究者がつどった研究会である文化史懇談会に参加。そこで美術史学者の田中一松に出会い、作品を幅広く徹底的によく見るという氏の姿勢に大いに感銘を受ける。後に和光大学赴任後、現地で見ること、記述することを徹底する教育へとつながった。またこの懇談会に参加したことを直接のきっかけとして、川崎のすすめにより絵巻研究に従事し、文学のジャンルから美術史のジャンルへと視野を広げることとなる。その研究成果は『原色版美術ライブラリー 絵巻物』(みすず書房、1957年)、『絵巻―プレパラートにのせた中世』(美術出版社、1963年)等に結実。こうした学術研究のかたわら、『日本歴史物語』(河出書房新社、1955~1962年)、『少年少女人物日本百年史』(盛光社、1965~1966年)、『新しい日本』(盛光社、1967年)等、児童向けの歴史書の共同執筆や監修を手がけた。上記以外の主な著作に、『ものと人間の文化史 地方仏Ⅰ・Ⅱ』(法政大学出版局、1980年・1997年)、『ものと人間の文化史 絵師』(同、1990年)、『絵巻の歴史』(吉川弘文館、1990年)、『ものと人間の文化史 襖』(法政大学出版局、2002年)などがある。なお、妻は作家の武者小路実篤の三女辰子。85年に開館した調布市武者小路実篤記念館の顧問を務めた。

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出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(452頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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