井村彰

没年月日:2010/09/13
分野:, (学)
読み:いむらあきら

 美学研究者で、東京藝術大学美術学部准教授の井村彰は、2008年より病気療養中であったが、9月13日脳梗塞のため死去した。享年54。1956(昭和31)年2月16日、広島県竹原市に生まれる。74年3月広島県立呉三津田高校を卒業、翌年4月東京藝術大学美術学部芸術学科に入学。79年3月同大学卒業、4月同大学大学院修士課程に入学。82年3月、同大学院修了、4月同大学美術学部美学研究室非常勤講師となる。84年から86年まで、ドイツ学術交流会留学生としてミュンヘン大学に学ぶ。帰国後、芝浦工業大学、法政大学、文化学院芸術専門学校にて非常勤講師を務める。88年7月、三村尚子と結婚。1990(平成2)年4月、大分大学教育学部専任講師となる。92年4月、同大学同学部助教授となる。97年4月、東京藝術大学美術学部芸術学科専任講師となる。98年同大学同学部助教授となる(2007年から准教授)。2002年9月、「東京藝術大学美術学部+ワイマール・バウハウス大学造形学部 現代美術交流展」に運営委員として参加。翌年7月、「アーティスト・ガーデン・ワイマール」のプロジェクト事業に参加、ワイマール・バウハウス大学にて講演。2004年6月、東京藝術大学美術学部副学部長となる(2007年11月まで在任)。井村の美学研究は、学生時代のヘーゲル、ヘルベルト・マルクーゼの美学理論にはじまり、テオドール・アドルノの美学へと進み、そこから個人がもつ「趣味」(hobbyとtaste)の問題、また芸術と社会、現代美術、あるいは近現代の構築物と社会の関係を「環境美学」として研究領域を広げ、考察を深めていった。こうした研究のなか生みだされた成果として、「モニュメントにおける文化と野蛮―宮崎市の『平和の塔』を事例にして―」(科学研究費補助金研究成果報告書「メタ環境としての都市芸術―環境美学研究―」、2000年3月)では、野外のモニュメントの芸術性と政治性の関係を、その関係に含まれる諸問題を基点に考察し、美学の視点で論じていた。また、「趣味の領分―雑誌『趣味』における坪内逍遥・西本翠蔭・下田歌子―」(科学研究費補助金研究成果報告書「日本の近代美学(明治・大正期)」、2004年3月)では、上記の「趣味」の問題を、近代日本における翻訳を通した文化受容の問題として論じている。さらに、モニュメントに端を発して考察された課題では、「モニュメント・文化財・芸術作品」(科学研究費補助金研究成果報告書「芸術における公共性」、2005年3月)において、近代、現代における文化生産、文化消費の問題を歴史的に俯瞰しようと試みていた。このように井村の美学研究は、現代における芸術の諸問題を、その背後にある歴史、社会を念頭に考察を深めていこうとするものであり、そこに現代に息づく美学の可能性を見いだいしていたといえる。数多くの論文、報告の他に主要な翻訳書に、下記のものがある。ヨハネス・パウリーク著『色彩の実践―絵画造形のための色彩―』(美術出版社、1988年)、ゲルノート・ベーメ著『感覚学としての美学』(共訳であるが訳者代表、勁草書房、2005年)。なお、『カリスタ』第17号(美学・藝術論研究会編集発行、2010年12月)において、追悼記事が掲載された。謙虚で温和な人柄ながら、研究者としては、ドイツの学問的土壌を敬愛し、つねに時代と社会を視野に入れつつ、美学という位置から確固たる識見のもと真摯に研究をつづけるとともに、後進の指導にあたっていた。

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(446-447頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「井村彰」『日本美術年鑑』平成23年版(446-447頁)
例)「井村彰 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28508.html(閲覧日 2024-04-24)

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