中野政樹

没年月日:2010/06/04
分野:, (学)
読み:なかのまさき

 金属工芸史の研究者である中野政樹は6月4日、肝不全のため順天堂病院に入院中死去した。享年80。1929(昭和4)年8月13日、鍛金作家である父中野恵祥、母ろくの長男として、東京都荒川区西日暮里に生まれる。49年、東京美術学校に入学、工芸科に進み漆芸を専攻し、52年同校を卒業する。卒業制作は卵殻フクロウ文八角箱である(中野家所蔵)。卒業と同時に東京国立博物館学芸部に文部技官として採用され、この時点から金工史の研究を始める。67年、金工室長、77年企画課長を歴任し、81年、東京藝術大学芸術学部芸術学科教授に転任する。大学では日本工芸史、日本金工史を中心に講義、演習を行う。88年から1991(平成3)年まで芸術資料館(後に大学美術館となる)館長となる。96年、同大学を退官、名誉教授を授与される。97年、ふくやま美術館館長に就任、没する直前まで館長を務めた。また同年から2003年まで文化女子大学教授を務めた。専門とした日本金工史のなかでも奈良時代の鏡鑑、仏教用具に造詣が深く、「奈良時代の鏡 本館保管の唐式鏡」1~9(『MUSEUM』東京国立博物館 1962年~1964年)、「奈良時代における唐式鏡の基礎資料」(『東京国立博物館紀要』8 東京国立博物館 1973年)はじめ多くの論文を発表した。とくに「奈良時代における唐式鏡の基礎資料」は発表された時点での日本出土、伝世の鏡を網羅し、文様ごとに系統立て、踏返しなどについて考察したもので、古代鏡鑑研究の基礎的文献となっている。また仏教用具では法隆寺献納宝物を対象として、金銅灌頂幡、竜首水瓶などを研究し、「金銅灌頂小幡」(『MUSEUM』72 1957年)、「金銅透彫灌頂幡」(『国華』928 1970年)、「金銅透彫灌頂幡の規矩性と尺度」(『MUSEUM』282 1974年)、『国宝金銅透彫灌頂幡』(大塚巧芸社インターナショナル、2000年)、「龍首水瓶」(『MUSEUM』457 1989年)を発表した。また、1970年から1972年まで正倉院宝物の調査を宮内庁から委嘱された。その成果は『正倉院の金工』(日本経済新聞社、1976年)で公表され、宝物の金工関係の論文としては「正倉院宝物の匙・加盤碗」がある。奈良時代の以降では、日本の鏡、鏡像についても研究し、『和鏡』(至文堂、1969年)、『和鏡』(フジアート出版、1973年)、『鏡像』(東京国立博物館、1974年)を刊行している。

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(439頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「中野政樹」『日本美術年鑑』平成23年版(439頁)
例)「中野政樹 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28496.html(閲覧日 2024-03-29)

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