楢崎彰一

没年月日:2010/01/10
分野:, (学)
読み:ならさきしょういち

 名古屋大学名誉教授で日本陶磁史研究者の楢崎彰一は胆管がんのため1月10日に死去した。享年84。1925(大正14)年6月27日、大阪府大阪市に生まれた。1949(昭和24)年3月に京都大学文学部史学科(考古学)を卒業後、50年4月から名古屋大学文学部史学科考古学研究室の開設に伴い助手として勤務、62年10月同講師、66年11月同助教授、78年4月同教授となり、1989(平成元)年3月に定年退官し、4月に同名誉教授。退官後には89年4月に愛知県陶磁資料館参与(~95年3月)、92年4月に財団法人瀬戸市埋蔵文化財センター所長(~05年3月)、95年4月に愛知県陶磁資料館総長(~99年3月)、05年4月に財団法人瀬戸市文化振興財団埋蔵文化財センター顧問(~07年3月)等を歴任した。京都大学では小林行雄の教えを受けて古墳時代の研究を行い、名古屋大学着任後も東海地方の古墳について発掘調査を進め、それらの成果の集大成として59年「後期古墳時代の初段階」『名古屋大学文学部十周年記念論集』(名古屋大学)を発表したが、その業績は今日でも高く評価されている。研究の一大転機となったのは、愛知県下における愛知用水建設工事に伴う55~61年にかけて実施された猿投山西南麓古窯跡群(猿投窯)発掘調査に中心として携わり、古墳時代から平安時代の陶器生産の実態を解明したことである。この発掘調査により、それまで日本陶磁史において暗黒時代とされてきた平安時代にも須恵器生産が継続され、灰釉陶器・緑釉陶器を新たに生産した猿投窯が日本の中心的な窯業地であり、中世の瀬戸窯や常滑窯へ展開する母胎であったことを初めて明らかにした。これらの成果は66年『陶器全集31 猿投窯』(平凡社)、73年『陶磁大系5 三彩・緑釉・灰釉』(平凡社)、74年『日本の陶磁 古代・中世篇Ⅰ 土師器・須恵器・三彩・緑釉・灰釉』(中央公論社)、76年『原色愛蔵版日本の陶磁 古代・中世篇2 三彩・緑釉・灰釉』(中央公論社)、同年『日本陶磁全集6 白瓷』(中央公論社)、79年『世界陶磁全集2 日本古代』(小学館・共著)を初めとする一連の出版物として刊行された。この猿投窯の研究を出発点として、愛知・岐阜県下を主なフィールドとして、以降考古学的な窯跡の発掘調査の成果を用いて、古墳時代の須恵器から桃山・江戸時代の陶器に至る編年研究に邁進し、古墳時代から平安時代における猿投窯の須恵器・灰釉陶器、中世の瀬戸窯、近世の瀬戸窯・美濃窯の編年を確立するとともに、古窯跡の構造とその変遷も解明した。この間数多くの陶磁史研究者を育成する一方、福井県越前窯、滋賀県信楽窯、石川県九谷窯、山口県萩窯、広島県姫谷窯、福島県会津大戸窯などの発掘調査にも携わり日本各地の陶磁史研究に大きな影響を与えた。晩年には日本に止まらず、日本の中近世陶磁のルーツについて中国福建省古窯跡との関連を明らかにする研究も進めた。これらの一連の研究業績により、62年には第15回中日文化賞、67年には第21回毎日出版文化賞、80年には第1回小山富士夫記念褒賞を受賞した。 

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(426頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「楢崎彰一」『日本美術年鑑』平成23年版(426頁)
例)「楢崎彰一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28476.html(閲覧日 2024-04-20)

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