鶴田武良

没年月日:2009/01/18
分野:, (学)
読み:つるたたけよし

 中国絵画史の研究者である鶴田武良は1月18日、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で死去した。享年71。1937(昭和12)年3月2日、大阪市に生まれる。61年東北大学文学部東洋芸術史学科を卒業後、シェル石油株式会社に入社するが、64年に東北大学大学院文学研究科修士課程(美術史学専攻)に入学。66年に修士課程を修了後、同研究科博士課程に進学。68年から72年まで大阪市立美術館に学芸員として勤務。72年に東京国立文化財研究所(現、東京文化財研究所)に転職後は美術部資料室、情報資料部文献資料室、美術部第一研究室の研究員を経て、80年より修復技術部第二研究室長、83年より情報資料部写真資料室長を務める。88年に情報資料部長、1992(平成4)年に美術部長となり、98年定年により退職。中国絵画史を専門とし、大阪市立美術館勤務時代、橋本末吉コレクションとの出会いをきっかけに72年特別展「近代中国の画家」を開催、それまで研究対象として顧みられることの少なかった中国の近代美術に目を向けるようになる。東京国立文化財研究所に転職後は、近世~近代の来舶画人についての論考を『国華』や同研究所が発行する研究誌『美術研究』に連載。80年から翌年にかけて文部省在外研究員としてアメリカで調査を行った他、中国、台湾で地道な資料収集を重ね、『民国期美術学校畢業同学録・美術団体会員録集成』(和泉市久保惣記念美術館久保惣記念文化財団東洋美術研究所紀要2・3・4号 1991年)、『中国近代美術大事年表』(和泉市久保惣記念美術館久保惣記念文化財団東洋美術研究所紀要7・8・9号 1997年)等の基礎資料集成に結実。論考もそれらの資料に裏付けられた手堅い手法によるもので、91年からは清末~解放後の美術を対象に「近百年来中国絵画史研究」と題した連載を7回にわたり『美術研究』に発表。北京や台北でも学会発表や講演を重ね、数多くの論考が中国語に翻訳されている。退職後は中国近現代美術研究資料センターを主宰。99年台湾・林宗毅博士文教基金会第1回文化賞を受賞。2007年には収集した書籍・スライド・写真・フィルム等を広東美術館に寄贈、「鶴田武良中国近現代美術史研究文庫」として伝えられることになる。主要な編著書は下記の通りである。

『近代中国絵画』(角川書店、1974年)
『近代中国絵画』(1974年角川書店刊本の中国文訳本、台湾・雄獅美術図書公司、1977年)
米沢嘉圃と共著『水墨画大系第11巻 八大山人・揚州八怪』(講談社、1975年)
川上涇と共編『中国絵画』(朝日新聞社、1975年)
長尾正和と共著『呉昌碩』(講談社、1976年)
川上涇と共著『中国の名画』(世界文化社、1977年)
宮川寅男他と共著『東洋の美術Ⅰ』(旺文社、1977年)
『月影館審定近代中国絵画』(日貿出版社、1984年)
『鉄斎筆録集成』第1巻(便利堂、1991年)
『日本の美術326 宋紫石と南蘋派』(至文堂、1993年)
『近代百年中国絵画』(和泉市久保惣記念美術館、2000年)
『風景心境―台湾近代美術導読』(台湾・雄獅図書公司、2001年)
『定静堂蒐集明清書画』(和泉市久保惣記念美術館、2001年)
顏娟英他と共編『上海美術風雲―1872―1949 申報藝術資料條目索引』(台湾・中央研究院歴史語言研究所 2006年)

出 典:『日本美術年鑑』平成22年版(458-459頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「鶴田武良」『日本美術年鑑』平成22年版(458-459頁)
例)「鶴田武良 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28442.html(閲覧日 2024-03-29)
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