内藤ルネ

没年月日:2007/10/24
分野:, (その他)
読み:ないとうるね

 戦後の少女画を代表するイラストレーター内藤ルネは10月24日、心不全のため静岡県伊豆市の自宅で死去した。享年74。1932(昭和7)年11月20日、愛知県岡崎市に生まれる。本名、内藤功。第二次大戦末期の混乱のさなか、偶然みつけた中原淳一の雑誌口絵の美しさに感動する。16歳で岡崎中学を卒業後、住み込みで紳士服洋裁店に勤務、その傍ら、絵や詩をつけた手紙を中原に送るようになる。その画才に目をつけた中原に呼ばれ19歳で上京、ひまわり社に入社する。中原に師事しながら雑誌『ひまわり』『それいゆ』の編集・挿絵に携った後、54年の『ジュニアそれいゆ』創刊から主力に加わりイラストやエッセイを発表、雑貨デザインも手がけるようになる。この頃ペンネームを「内藤瑠根」としていたが、56年頃から「内藤ルネ」も用いるようになり、これが定着する。58年『少女』(光文社)の付録別冊漫画の表紙に自作の人形が写真掲載され出すなど、この頃から他社の仕事も受け始め、64年頃まで『少女クラブ』(講談社)、『りぼん』(集英社)、『なかよし』(講談社)、『女学生の友』(小学館)といった少女雑誌の口絵・付録・イラスト作品を多数手がける。59年、中原が病に倒れると代わって表紙を担当、以後ひまわり社のスター的存在となる。61年、個人的に制作を依頼した陶器のビリケン人形を、発注先である大竹陶器が強く希望して商品化。これが大ヒットし同社は後に株式会社ルネと改名してルネグッズを多数製作するが、これらはいわゆるファンシーグッズの先駆となった。64年から『服装』(婦人生活社)に手芸やインテリア等をテーマにエッセイを書き始め、後に「私の部屋」に引き継がれ断続的に92年まで連載される。65年頃には、『装苑』(文化出版局)、『non-no』(集英社)等若い女性向けの雑誌でも仕事をする。70年代にはトマトやイチゴなどをモチーフにしたステンシールが大流行。今日のパンダキャラクターの原型となっているルネパンダも、中国からのパンダ来日前年の71年に商品化されている。74年、南青山に「薔薇色雑貨店・ルネハウス」をオープン。84年2月より1998(平成10)年9月まで『薔薇族』(第二書房)の表紙を担当。2001年静岡県修善寺に住まいを移し、内藤ルネ人形美術館を開館、森本美由紀を中心とする「RUNE DOLL ASSOCIATES」がルネの人形を復刻し展示を行うようになる。02年、宇野亜喜良等7名と銀座スパンアートギャラリーで「2002―少女頌」を、弥生美術館にて初の回顧展「内藤ルネ展~ミラクル・ラヴリー・ランド~」を開催。また05年には同館にて「内藤ルネ初公開コレクション展―日本の可愛いはルネから始まった」を開催。主な著書に『こんにちは!マドモアゼル』(ひまわり社、1959年)、『幻想館の恋人たち』(山梨シルクセンター、1968年)等がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成20年版(391頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「内藤ルネ」『日本美術年鑑』平成20年版(391頁)
例)「内藤ルネ 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28404.html(閲覧日 2024-04-25)

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