中村光哉

没年月日:2002/11/09
分野:, (工)
読み:なかむらこうや

 染織家で東京藝術大学名誉教授の中村光哉は11月9日午前8時30分、悪性リンパ腫のため神奈川県横須賀市の病院で死去した。享年80。 1922(大正11)年8月6日、友禅染めで重要無形文化財となった染色家中村勝馬の長男として東京青山に生まれる。1940(昭和15)年東京美術学校日本画科に入学するが43年12月、動員により同校を仮卒業。翌年9月、飛行兵として出征中に同校を卒業する。45年8月、終戦により復員し染色活動に入る。46年10月第2回日展に染色屏風「やなぎ 利休屏風」で初入選。以後日展に出品し、56年第12回同展で「楽器」により北斗賞受賞。59年第15回日展に回転木馬などの遊園地風景を図案化した「遊園地」を出品して特選・北斗賞を受賞する。62年4月、東京新橋の全線画廊にて個展を開催。同年11月、母校である東京藝術大学に染色教室が設けられたことに伴い、同学講師となる。65年日展会員および現代工芸美術家協会評議員となる。67年東京藝術大学美術学部工芸科に染色講座が開設されるのに伴い、同科助教授となる。68年日本現代工芸美術東欧展に際し、現代工芸美術家協会代表委員として視察のために渡欧。78年東京藝術大学教授となる。80年2月日本橋高島屋美術画廊にて個展を開催し、同年9月には銀座ミキモト・ホールで開催された「現代の染色20人展」に参加する。また、同年3月現代工芸美術家協会理事となる。82年、出品を続けてきた日展の評議員となる。86年「中村勝馬中村光哉二人展」を水戸甚デパートで開催。1989(平成元)年3月日本現代工芸美術展に「好日」を出品して内閣総理大臣賞受賞。84年より横須賀市に居住したことから90年、横須賀市の主催で「郷土ゆかりの芸術家シリーズⅤ」として「中村光哉染色作品展」を同市はまゆう会館で開催し、初期の作品から近作まで29点を展観した。年譜は同展図録に掲載されている。 染色技法は父中村勝馬に師事し、初期には蝋けつ染技法をよく用いたが後には友禅を得意とした。具象的モティーフを幾何学的にデフォルメする試みを初期から行い、昭和40年代後期には幾何学的抽象形体による構成をおこなったが、その後、雲、炎、波など不定形のモティーフを好んで主題とし、対象を写実的にとらえた上で形体を簡略化するとともに、色彩においても再現的表現からはなれて装飾的な色面構成を行うようになった。そうしたなかに雲形、鱗模様など伝統的文様をもとり入れ、伝統技法を用いながら、色彩と形体に斬新なデザイン性を融合させて、友禅染の世界に新たな展開をもたらした。横須賀市に居を写してからは海、船に取材した作品を多く制作している。作品集に『イメージを染める』(染色と生活社 1983年)、『中村光哉作品集―抽象と文様―』(京都書院 1985年)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成15年版(246-247頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「中村光哉」『日本美術年鑑』平成15年版(246-247頁)
例)「中村光哉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28261.html(閲覧日 2024-04-25)

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