岩下三四

没年月日:2000/07/01
分野:, (洋)
読み:いわしたみつし

 洋画家で日展参与および東光会副会長を務めた岩下三四は7月1日午前2時40分、肺癌のため鹿児島市の自宅で死去した。享年93。明治40(1907)年3月26日、鹿児島県大島郡喜界村に生まれる。1926(大正5)年、鹿児島第一師範学校を卒業して喜界村立湾尋常高等小学校教諭となり、翌年鹿児島市立鹿児島尋常高等小学校に赴任する。1930(昭和5)年、元同校教諭で当時東京美術学校に在学していた黒松秀志の写生姿に感銘を受け、油絵道具一式を買いそろえて制作を開始。同年、岩木三光を名乗って第8回南国美術展に出品した「海の引力」が初入選。翌年退職して上京し、東京都北豊島郡第四峡田尋常小学校に赴任。32年から熊岡美彦の熊岡洋画研究所で学び、33年の第1回東光会展に入選。同年「静物」が第14回帝展に入選。34年の第2回東光会展ではK氏奨励賞を、35年の第3回東光会展で田中奨励賞を、36年の第4回東光会展で「海と裸婦」が東光賞を受賞し、37年に東光会会員となった。40年、第四峡田尋常小学校を退職して熊岡洋画研究所講師となる。47年、鹿児島に居を構え、鹿児島師範学校(後の鹿児島大学)講師として後進の育成に努める(51年から教育学部助教授、65年から教授)。52年、「画室にて」で第8回日展特選・朝倉賞を受賞。68年から日展会員。80年から東光会理事と日展評議員、82年から日展参与、1989(平成1)年から東光会副理事長を務めた(後に副会長)。この間、55年に鹿児島美術協会を結成に参加して審査員を務めるなど、郷土の美術振興に寄与するところが大きかった。71年に鹿児島大学を退官してからは志賀学園鹿児島女子短期大学教授を務め、73年には南日本文化賞を受賞、78年鹿児島県から県民表彰を受ける。82年、勲四等旭日小綬賞を受賞。98年、長島美術館(鹿児島市)にて「岩下三四展-卆寿をこえて-」が開催され、同年『岩下三四画集』(同刊行会)が出版された。桜島、霧島や琉球踊りといった南国の風物などを、鮮やかな色彩と力強いタッチで描いた。次男国郎は洋画家で東光会会員、鹿児島国際大学教授。

出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(235-236頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「岩下三四」『日本美術年鑑』平成13年版(235-236頁)
例)「岩下三四 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28187.html(閲覧日 2024-03-28)

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