米倉斉加年

没年月日:2014/08/26
分野:, (その他)
読み:よねくらまさかね

 俳優、演出家で絵本作家としても知られた米倉斉加年は8月26日午後9時33分、腹部大動脈瘤破裂のため福岡市内の病院で死去した。享年80。
 1934(昭和9)年7月10日、福岡市に生まれる。戸籍上の本名は米倉正扶三(まさふみ)だが、小学校時代から斉加年を名のる。57年に西南学院大学英文科を中退して上京、劇団民藝の水品演劇研究所に入所し宇野重吉に師事する。59年に劇団青年芸術劇場(青芸)を結成して活躍したが、64年に退団して民藝に戻る。66年にベケット「ゴドーを待ちながら」等の演技で第1回紀伊国屋演劇賞を受賞、74年の金芝河の「銅の李舜臣」以来演出も手がける。88年にも「ドストエーフスキイの妻を演じる老女屋」での演技で第23回紀伊国屋演劇賞を受賞。商業演劇の世界でも、舞台「放浪記」で林芙美子の友人白坂五郎役を長年にわたり演じた。2000(平成12)年に劇団民藝を退団後、07年に劇団海流座を立ち上げ、代表を務めた。映画「男はつらいよ」シリーズやNHK大河ドラマ「国盗り物語」「風と雲と虹と」「花神」等にも出演し、存在感のある演技で広く知られた。
 演劇活動の傍ら、生活費の助けとして元々好きだった絵を描くようになり、69年から翌年にかけて月刊誌『未来』に絵と雑文を連載。これが注目され、野坂昭如『おとなの絵草紙 マッチ売りの少女』(1971年)をはじめとする絵本の仕事に携わるようになる。75年には奥田継夫の童話『魔法おしえます』(偕成社)の絵を担当し、翌年のボローニャ国際児童図書展・子供の部でグラフィック大賞を受賞。さらに同年出版、自作の文と絵による『多毛留』(偕成社)が77年の同展・青少年の部でグラフィック大賞を受賞する。竹久夢二の大衆性を愛し、市井に生きる“絵師”を自任、その作風は繊細な描写の中に諷刺の毒を効かせたものであり、英国の画家ビアズリーのそれを髣髴とさせる。画集に『憂気世絵草紙』(大和書房、1978年)、『masakane 米倉斉加年画集』(集英社、1981年)、『おんな憂気世絵』(講談社、1986年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成27年版(509-510頁)
登録日:2017年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「米倉斉加年」『日本美術年鑑』平成27年版(509-510頁)
例)「米倉斉加年 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/247374.html(閲覧日 2024-03-29)

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