石黒鏘二

没年月日:2013/12/19
分野:, (彫)
読み:いしぐろしょうじ

 彫刻家で元名古屋造形芸術大学(現、名古屋造形大学)学長の石黒鏘二は12月19日午前7時16分、食道がんのため死去した。享年78。
 1935(昭和10)年6月4日、愛知県名古屋市に生まれる。51年に愛知県立旭丘高校美術科へ入学、高校3年の時に行動美術展に彫塑の「裸婦」を出品し入選。54年東京藝術大学美術学部彫刻科へ入学し石井鶴三の教室に学ぶ。58年に卒業した後は名古屋に戻り、61年より豊橋のマネキン制作会社に勤務しながら制作を続けるが、そこでの業務を通じて様々な技術・技法を習得し、また多くの人々と交流した経験は、後に「マネキン会社大学卒業」を自称するほどに大きな糧となる。69年より身近な題材をモティーフとした鉄溶接による彫刻作品を発表、1970年代後半からはステンレススチールによる抽象的な野外彫刻を数多く手がけるようになる。79年第1回ヘンリー・ムーア大賞展佳作賞、83年同優秀賞、85年同彫刻の森美術館賞、第11回現代日本彫刻展宇部市野外彫刻美術館賞を受賞。また1989(平成元)年に愛知県芸術文化選奨文化賞を、2004年には文部科学省地域文化功労者賞を受賞。一方、名古屋造形芸術大学において67年の開学以来教鞭をとり、98年から2006年まで名古屋造形芸術大学学長を務めた。90年代には「記憶のマテリアル」、2000年代に入ると「記憶のモニュメント」と題するインスタレーションを発表。11年からは千種川歩のペンネームで小説の執筆にも取り組んだ。13年には碧南市藤井達吉現代美術館にて「記憶のモニュメント その軌跡の展開 石黒鏘二展」が開催されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成26年版(474頁)
登録日:2016年09月05日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「石黒鏘二」『日本美術年鑑』平成26年版(474頁)
例)「石黒鏘二 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/236772.html(閲覧日 2024-11-01)

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