十四代酒井田柿右衛門
陶芸家で色絵磁器の重要無形文化財保持者の十四代酒井田柿右衛門は、6月15日午前8時45分、転移性肝腫瘍のため佐賀市内の病院で死去した。享年78。
1934(昭和9)年8月26日、佐賀県西松浦郡有田町に、酒井田渋雄(のちの十三代酒井田柿右衛門)とツネの長男として生まれる。襲名までの本名は正(まさし)。多摩美術大学日本画科に進み、絵画的な構想力や描画技術の基礎を習得。58年に卒業すると帰郷し、祖父・十二代柿右衛門と父が復興させた「濁手(にごしで)」の製陶技術とともに、とくに祖父からは絵具の調合と絵付け技術を、父からは素地の成形と焼成技術を受け継いだ。作品としての発表は66年からで、一水会と西部工芸展に入選し、陶芸家としてデビューした。翌年には一水会で一水会会長賞を受賞。68年からは日本伝統工芸展にも入選を果たし、その後も日本伝統工芸展をはじめ、一水会や西部工芸展、さらには佐賀県展や九州山口陶磁展等で実績を積む。70年にはヨーロッパに旅行して各国の美術館や窯業地を視察。また、柿右衛門初期におけるオランダ貿易と東西交通や、在欧作品と仿製品についても見聞を重ねた。71年日本工芸会正会員。この年、柿右衛門製陶技術保存会の「柿右衛門(濁手)」技法が重要無形文化財の総合指定を受け、76年には技術保持団体として認定。同年、東京で初の個展を開催した。82年7月、父・十三代柿右衛門の死去にともない柿右衛門製陶技術保存会の会長に就任、同年10月には十四代柿右衛門を襲名した。84年日本陶磁協会賞受賞。86年には第33回日本伝統工芸展で「濁手山つつじ文鉢」が日本工芸会奨励賞を受賞した。この頃より海外において十四代柿右衛門展の開催機会が増え、「濁手」と呼ばれる独特の白素地に、赤絵を基調として草花を描いた作品の評価が高まりをみせる。1992(平成4)年の第39回日本伝統工芸展では「濁手蓼文鉢」が二度目となる日本工芸会奨励賞受賞し、色絵磁器の陶芸家としての地位を確固たるものとする。翌年には国際陶芸アカデミー(IAC)名誉会員となる。60歳を過ぎたころより、地元陶芸団体等において要職に就き、後進の指導とともに、地域の陶磁文化発展のために力を注ぐ。98年、長年にわたる国際文化交流の功績により外務大臣表彰、99年には濁手の伝統的技法の伝承に努め、地域の文化発展と向上に貢献したことにより文部大臣賞表彰を受ける。その後も、作家として濁手を中心とした創作活動と、技術保存会会長として様式美の継承の両立をはかり、2001年には父も受けることがなかった重要無形文化財「色絵磁器」の保持者に認定された。05年、旭日中授章受章。06年には有田町名誉町民の称号を受けた。十四代柿右衛門は、柿右衛門家の当主として、祖父と父が再興を成し遂げた「濁手」の技術を継承する。と同時に、独特の白地と柿右衛門伝統の赤絵を効果的に用いた優美な絵付と模様構成により独自の作風を築き上げ、濁手の新たな境地を切り拓いた陶芸家であった。
登録日:2016年09月05日
更新日:2023年11月07日 (更新履歴)
例)「十四代酒井田柿右衛門」『日本美術年鑑』平成26年版(456頁)
例)「十四代酒井田柿右衛門 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/236746.html(閲覧日 2024-10-16)
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