赤澤英二

没年月日:2012/05/23
分野:, (学)
読み:あかざわえいじ

 美術史家の赤澤英二は5月23日、心不全のため死去した。享年82。
 1929(昭和4)年6月22日東京府に生まれる。54年東京大学農学部水産学科卒業後、57年3月東京大学文学部美学美術史学科卒業、同年4月東京大学大学院人文科学研究科(美学美術史専攻)修士課程に入り、翌58年6月中退。同年7月東京学芸大学教育学部助手、65年4月講師、68年4月同大学大学院教育学研究科造形芸術学担当、同年6月助教授、76年4月教授。93年3月東京学芸大学を定年退官、5月同大学名誉教授号授与。この間、84年4月から88年3月まで同大学学部主事(第4部長)、1991(平成3)年4月から93年3月まで同大学教育学部附属野外教育実習施設長を務める。95年4月実践女子大学文学部教授に就き、2000年3月同大学を定年退職。
 日本中世美術史、ことに室町時代水墨画史、とりわけ雪村周継の研究で多くの業績を残した。また各地の寺院所在中世絵画の調査を精力的に行ったことも特筆される。
 60年に「応永詩画軸研究1応永詩画軸の前提」(『東京学芸大学研究報告』1巻11号)、「詩軸と詩画軸」(『美術史』40号)を発表。室町時代水墨画研究の基本問題を追及する姿勢を明らかにした。「応永詩画軸研究」は、「2詩画軸画題考」(1961年)、「3山水画構図論」(1963年)と続けて基本問題を追及する一方、「「李朝実録」の美術史料抄録(一)~(五)」(『国華』882~898号、1965~67年)を発表して中世美術史の分野ではじめて朝鮮美術史料をとりあげ、今日では当然となった東アジアを視野に収めた中世絵画史研究の必要性を提起するなど、後年の幅広い研究姿勢を早くから表している。最晩年の論文も「室町水墨画と李朝画の関係」(『大和文華』117号、2008年)である。
 赤澤の業績の視野は広かったが、特筆される業績のひとつは、室町の代表的な画人である雪村周継の研究を一貫して進めたことにあった。「雪村の人物画における様式展開の一つのケース―用墨法の問題に関連して」(1975年)を初めとして多くの論文を発表し、85年『国華』の雪村特集号では編集と執筆の中心となるなど研究を進め、2003年にはその集大成である『雪村研究』(中央公論美術出版)を刊行した。これは、生没年など不確定な要素の多かった雪村の伝記について有力な仮説を提示し、模作などを含む百点に及ぶ作品を精査して、様式や落款印章の形式の比較検討を経た編年を試みた大著である。さらに2008年には人物評伝『雪村周継―多年雪舟に学ぶといへども』(ミネルヴァ日本評伝選)を著した。
 また大きな業績のひとつは「地方寺院伝来の中世絵画調査」をテーマとして精力的な実地調査を行い、多くの資料の発掘・顕彰を行ったことである。調査は71年から95年までで北海道を除く全国44府県の350ヵ寺、調査作品は1,100点以上に及んだ。調査により発見された優れた作品を「海西人良詮筆仏涅槃図について」、「徳報寺蔵宗祇像について」、「室町時代の絵師「土蔵」詩論」などとして数多く発表。さらに長年にわたるこれらの成果は、その中から279点155ヵ寺1神社2博物館の作品を選択し収録した大著『日本中世絵画の新資料とその研究』(中央公論美術出版、1995年)、及び数多くの涅槃図の作例を通観することによってその図像の展開を論じた『涅槃図の図像学―仏陀を囲む悲哀の聖と俗千年の展開』(中央公論美術出版、2011年)に多くの図版とともにまとめられた。幅広い実作品を互いに連関させながら学術的に紹介したこれらの成果は、今なお日本美術研究上貴重な資料である。『新資料とその研究』の後序「模倣から引用へ」では、仏画と漢画の「模倣性」と「引用性」によってその展開をみる赤澤の日本絵画史観が記されている。他方、その精力的な実地調査は文化財行政に寄与し、結果として、赤澤によって見出された多くの文化財が各自治体や国の指定となった。福井・本覚寺蔵仏涅槃図や愛知・冨賀寺蔵三千仏名宝塔図などが国指定重要文化財となったのも赤澤の学術論文によって世に知られたことによる。
 共著、報告書を含む著書に上述のほか『日本美術史』(共著、美術出版社、1977年)、『日本美術全集16室町の水墨画』(共著、学習研究社、1980年)に始まる11本、主要論文は室町水墨画、雪村に関するものはもとより「縄文前期筒型土器・口付土器」(『国華』854号、1963年)や「十五世紀における金屏風」(『国華』849号、1962年)などをも含む69編におよぶ。
 他方、東京学芸大学の教育学部という場にあって、教育活動にも力を注いだ。とくに4年間にわたる学部主事の時代には、88年からの新課程の設置に伴う学部再編に尽力し、この結果、既成の教員養成課程に加えて環境、国際、情報などをふまえて学校教育以外の分野でも社会貢献できる人材養成の過程が造られ、これは広く基本モデルとなった。
 小金井市文化財専門委員、同専門委員会副議長、小金井市文化財審議会会長、国華賞選考委員、文化庁文化財買取協議会委員等を務めた。小金井市市政功労表彰(1983年)、東京都功労者表彰(1996年)、正四位叙位・瑞宝中綬章受章(死亡叙位叙勲)。美術史学会、美学会に所属。道子夫人との間の3男の父。

出 典:『日本美術年鑑』平成25年版(413-414頁)
登録日:2015年12月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「赤澤英二」『日本美術年鑑』平成25年版(413-414頁)
例)「赤澤英二 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/204394.html(閲覧日 2024-04-18)

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