影丸穣也

没年月日:2012/04/05
分野:, (漫)
読み:かげまるじょうや

 漫画家影丸穣也は、4月5日膵臓癌のため死去した。享年72。
 1940(昭和15)年1月3日大阪府に生まれる。本名久保本稔。中学卒業後自動車整備会社に勤めるが、体調を崩し退社。貸本漫画を読み、独学で作画を研究する。久保本稔名で57年単行本『怪獣男爵』(あたみ書房)でデビューする。以後、大阪の貸本漫画で活動し、貸本漫画誌『影』に発表の頃には影丸譲也のペンネームを使用。後に「穣也」とする。61年「拳銃エース」を『冒険王』に発表、少年誌にデビューする。63年上京。影丸の名前が有名になったのは68年『週刊少年マガジン』で連載した横溝正史原作の「八つ墓村」である。横溝の小説では「悪魔が来りて笛を吹く」(『東京スポーツ』)も手がけ、こちらは映画の画面を漫画に起こしている。また高校で番を張り、不良で剣の使い手氷室洋二が繰り広げる教師や大人たちとの抗争から少年院での闘いまでを描いた「ワル」(真樹日佐夫原作、『週刊少年マガジン』、70年4/5合併号から73年2号)は、異色の学園ものとなった。つづいて梶原一騎の原作で極真空手の創始者大山倍逹の半生を描いた実録漫画「空手バカ一代」(『週刊少年マガジン』)を先発のつのだじろうの後を受けて、73年48号から77年52号まで作画、この連載は空手ブームを巻き起こした。NHKの番組「プロジェクトX」や大河ドラマ「義経」などの漫画化も手がけた。全体的には梶原一騎原作が多く、劇画調といえる黒い画面にハードボイルドなストーリー、いわゆる「男っぽい」硬派な作品を得意とした。

出 典:『日本美術年鑑』平成25年版(412頁)
登録日:2015年12月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「影丸穣也」『日本美術年鑑』平成25年版(412頁)
例)「影丸穣也 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/204391.html(閲覧日 2024-04-24)

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