藤田慎一郎
岡山県倉敷市の大原美術館の館長を30年以上にわたり務めた藤田慎一郎は、5月20日に呼吸不全のため亡くなった。享年91。
大正9(1920)年4月19日に東京都に生まれる。昭和13(1938)年3月、旧制広島県立福山誠之館中学校を卒業。その後結核を患い、療養生活後の47年8月に、親戚にあたる大原総一郎のすすめにより大原美術館に就職。大原美術館は、倉敷紡績株式会社などを経営する実業家大原孫三郎(1880-1943)によって30年11月に開館し、孫三郎の長男総一郎(1909-1968)によって継承発展した。50年11月、同美術館20周年記念行事を開催、梅原龍三郎、安井曾太郎、浜田庄司、河井寛次郎、武者小路実篤、志賀直哉、柳宗悦等を東京から招き、公開の座談会等が行われ、学芸員として諸行事の進行に務めた。以後、大原総一郎の片腕として、展覧会の企画実施、コレクションの拡充のための作品購入にあたった。51年2月、「現代フランス美術展(サロン・ド・メ日本展)」(日本橋高島屋)が開催、戦後のフランス美術が紹介されたことから、その出品作6点を購入したのをはじめとして、以後国内外の現代美術の収集に力を入れるようになり、藤田はその選定と購入につとめた。この現代美術収集は、戦後から現代につらなる国内美術館における先駆的な活動として特筆されるものである。61年7月、同美術館の副館長となり、64年に館長に就任。在職中は、近現代絵画をはじめ、民芸、工芸、古美術等にわたる広範な領域のコレクションの充実につとめるかたわら、展示室の拡大にも積極的にあたり、新館(現在の分館、1961年5月完成)、陶器館(現在の工芸館、同年11月完成)にはじまり、本館増設(現在の本館新展示室、1991年9月完成)まで、現在の同美術館のほぼ全体の施設作りを担当した。1998(平成10)年4月に館長を退任、相談役に就任。2002年に相談役を退任。
91年7月から97年6月まで全国美術館会議の会長を務め、また、ひろしま美術館、財団法人成羽町美術振興財団、倉敷民藝館等の理事などを歴任した。褒賞については、80年11月、フランス政府よりシュヴァリエ芸術文化勲章を受章。翌年11月に文部大臣表彰。88年に第46回山陽新聞賞(文化部門)受賞。89年、平成元年度倉敷市文化連盟賞、91年には文化の向上に貢献したことで第44回岡山県文化賞を受賞。98年10月、公共奉仕の精神をもって地域社会に貢献した者を顕彰する岡山県の第31回三木記念賞を受賞。
編著には、『大原美術館 岡山文庫10』(日本文教出版、1966年)をはじめ、同美術館、ならびにコレクションに関する刊行物についての著述が多い。その中で『大原美術館と私―50年のパサージュ―』(松岡智子編、山陽新聞社、2000年)は、長時間にわたるインタビューをまとめたものであるが、内容は同美術館の戦後からの歴史と同時にコレクションの形成史になっており貴重な証言である。
登録日:2015年12月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「藤田慎一郎」『日本美術年鑑』平成24年版(433-434頁)
例)「藤田慎一郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/204362.html(閲覧日 2024-10-04)
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