小野寺久幸

没年月日:2011/03/01
分野:, (美関)
読み:おのでらひさゆき

 文化財(仏像)修理技師で、財団法人美術院常務理事であった小野寺久幸は3月1日、肝不全のため死去した。享年81。
 1929(昭和4)年5月18日に宮城県本吉郡本吉町(現、気仙沼市)に生まれる。同県本吉郡小泉高等尋常小学卒業。小野寺の文化財(仏像)修理技師としての力量発揮を知らしめたのは、51年、神奈川県鎌倉市覚園寺における重要文化財の木造薬師如来および日光菩薩、月光菩薩の各坐像の保存修理からとみられる。54年には、東京国立博物館内の文化財修理室に勤務。翌年、美術院国宝修理所に就職した。以後、国宝・重要文化財の彫刻作品の修理に専従するとともに、現場において後進の育成に努めた。75年、財団法人美術院国宝修理所所長・常務理事に就任。79年、岐阜県文化財保護審議会委員に、1989(平成元)年には、財団法人川合芳次郎記念京都仏教美術保存財団理事に、91年には、東京藝術大学美術学部保存技術客員教授に、97年には、財団法人仏教美術協会理事に就任する。2000年、財団法人美術院国宝修理所所長を退き、常務理事専務に就任する。この間、88年から5年の歳月をかけて東大寺南大門の国宝金剛力士像二軀の本格解体修理に当って陣頭指揮を行う。その功績により、93年には、東大寺から「東大寺大仏師」の称号が授与された。また、文化庁長官表彰、および、第11回京都府文化功労賞を受ける。翌94年には、宮城県本吉郡本吉町名誉町民となる。95年には、第44回河北文化賞を受賞。96年には、長年にわたる文化財(仏像)修理と後進の育成の功績を認められて紫綬褒章を、03年には、勲四等旭日小綬章の栄誉を受ける。
 この間の主な仏像修理は以下の通り。京都・妙法院三十三間堂・重要文化財木造千手観音立像1001軀(昭和48~61、平成2~12年度)、同・国宝木造千手観音坐像(湛慶作、昭和62年~平成元年度)、大分・国宝臼杵磨崖仏(昭和53・55~61、63~平成5年度、同10~12年度)、奈良・法隆寺国宝木造観音菩薩立像(百済観音、昭和55年度)、同・国宝木造観音菩薩立像(救世観音、昭和62年度)、同・国宝銅造薬師三尊像(金堂所在、平成2~3年度)、京都・教王護国寺講堂の国宝を含む諸尊像20軀(平成9~11年度)の本格修理を行う。また、大阪・観心寺如意輪観音像の模造(昭和49~56年度)、京都・寂光院地蔵菩薩立像の模造(平成13~17年度)をはじめ、兵庫・清澄寺大日如来坐像(平成2年度)、東京・長仙寺金剛力士像(同6~9年度)、愛知・鳳来寺薬師如来立像(同10年度)、奈良・桜本坊木造天武天皇坐像(平成19~21年度)の製作を手がけた。仏像修理を通じての知見については、「文化財の保存修理」(『美術院紀要』創刊号、1969年)、「「明月院塑造北条時頼像」の修理について」(『同』2号、1971年)、「群馬県・不動寺の石仏修理について」(『同』3号、1973年)、「文化財の損傷と修理について」(『同』5号、1980年)。「THE REPAIR OF THE WOODEN SCULPTURES」(『International Symposium on the Conservation and Restoration of Cultural Property』東京文化財研究所編、1983年)、「文化財の保存修理」(『日本藝術の創跡2010』世界文藝社、2010年)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成24年版(426頁)
登録日:2015年12月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小野寺久幸」『日本美術年鑑』平成24年版(426頁)
例)「小野寺久幸 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/204351.html(閲覧日 2024-03-29)
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