原芳市

没年月日:2019/12/16
分野:, (写)
読み:はらよしいち

 写真家の原芳市は12月16日、ガンのため品川区内の病院で死去した。享年72。
 1948(昭和23)年、東京都港区に生まれる。高校卒業後、浪人を経て大学進学を断念し社会人となるが、写真に興味を持ち71年千代田デザイン写真学院に入学、写真の技術を学んだ。約一年半通って同校を中退。以後、月単位でさまざまな短期の仕事に従事しながら、その合間に写真を撮る生活を送るようになる。73年に初個展「東北残像」(キヤノンサロン、東京)を開催。78年には専門学校時代の友人たちとつくり、のち個人で継続することとなった版元「でる舎」から、最初の写真集となる『風媒花』を自費出版。印刷は当時勤務していた印刷会社で行った。70年代半ばからはストリップ劇場の踊り子たちをめぐる撮影を始め、それらをまとめた写真と文章による『ぼくのジプシー・ローズ』(晩聲社、1980年)を刊行し、同作により80年、第17回準太陽賞を受賞した。
 その後もストリップ劇場の踊り子等、性風俗関係の女性をめぐる撮影を続け、『ストリッパー図鑑』(でる舎、1982年)や、踊り子やピンクサロン嬢、学生、主婦等さまざまな女性を4×5判の大型カメラで撮影したポートレイトによる『淑女録』(晩聲社、1984年)などを出版する。また各地の盛り場をまわって踊り子たちの撮影を重ねるかたわらで、劇場の舞台や楽屋、その周辺で出会う人や光景などさまざまな対象をブローニー判のカメラで撮りためた写真群を、個展「曼荼羅図鑑」(ニコンサロン、東京・新宿および大阪、1986年)、「曼荼羅図鑑Ⅱ」(ギャラリーK、福島、1987年)等で発表、88年に300点の写真からなる『曼荼羅図鑑』(晩聲社)を出版した。それまでの集大成的な作品となった同作以降は、90年代から2000年代初頭を通じて、主にストリップ劇場の踊り子の撮影の仕事を中心に写真家としての活動を継続した。
 2008(平成20)年に写真集『現の闇』(蒼穹舎)を出版、その後『光あるうちに』(蒼穹舎、2011年)、『常世の虫』(蒼穹舎、2013年)、『天使見た街』(Place M、2013年)、『エロスの刻印』(でる舎、2017年)等、写真集の刊行を重ねた。このうちリオのカーニバルのダンサーに取材した『天使見た街』と、93年に個展で発表したのち、版元の倒産により頓挫していた写真集の計画を20数年ぶりに実現させた『エロスの刻印』をのぞく三冊は、いずれも愛読する書物などからタイトルとなる啓示的な言葉を得て、それをモティーフに撮りためられた写真によって写真集を編むという方法で制作されたもので、濃密な気配に満ちたスナップショットによる独特の作品世界が展開され、12年に第24回写真の会賞(『光あるうちに』および『現の闇』に対して)、15年日本写真協会賞作家賞(初期からのストリッパーをめぐる仕事および2000年代以降の作家活動に対して)を受賞するなど、高く評価された。
 19年には病を得て入退院を繰り返す中で、学生時代の作品をまとめた『東北残像』(でる舎)と、遺作となった『神息の音』(蒼穹舎)の二冊の写真集および、かつて出版を計画するも見送りとなっていた写文集『時を呼ぶこえ』(でる舎)の出版にとりくんだ。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(504頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「原芳市」『日本美術年鑑』令和2年版(504頁)
例)「原芳市 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2041116.html(閲覧日 2024-04-28)

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