大野玄妙

没年月日:2019/10/25
分野:, (美関)
読み:おおのげんみょう

 第6代聖徳宗管長、法隆寺第129世住職の大野玄妙は肺がんのため10月25日に死去した。享年71。
 1947(昭和22)年12月22日、大阪に生まれる。父は法隆寺第106世住職を務めた大野可圓。3歳で法隆寺に入り、57年に9歳で得度する。上宮高校を経て70年3月、龍谷大学文学部仏教学科を卒業し、72年3月、同大大学院修士課程を修了。龍谷大学では仏教学の泰斗・武邑尚邦に師事、学部から大学院にかけての研究テーマは『勝鬘経』と、聖徳太子による注釈書『勝鬘経義疏』だった。
 82年聖徳宗庶務部長・法隆寺執事補に就任、83年法隆寺執事、1992(平成4)年聖徳宗教学部長・法隆寺保存事務所所長補佐、93年聖徳宗宗務所長・教学部長・法隆寺執事長・法隆寺昭和資財帳編纂所所長、99年4月に聖徳宗第6代管長・法隆寺第129世住職に就任した。
 長年にわたって法隆寺に伝わる文化財の保護活動に尽力し、2015年12月には建築史や美術史、保存科学などの専門家によって構成される「法隆寺金堂壁画保存活用委員会」を設立。1949年に火災によって焼損して以来、原則的に非公開であった旧金堂壁画の科学調査を進め、将来的な一般公開を目指す方針を示した。在職中には寺宝である百済観音像を23年ぶりに東京国立博物館での展覧会に出陳する決断を下すなど、文化財の公開によってその意義と保存の必要性を世に訴えた(展覧会は2020年「法隆寺金堂壁画と百済観音」として開催予定だったが長期休館によって中止された)。2002年5月に発足した「文化遺産を未来につなぐ森づくり会議」の共同代表になるなど、伽藍や文化財の修理・保存に関わる木造文化の継承活動にも取り組んでいた。
 法隆寺では81年から宝物の目録作成を目的として「法隆寺昭和資財帳」の事業が開始され、全十五巻の冊子が刊行された(『昭和資財帳 法隆寺の至宝』小学館、1985~99年)。97年にはこの事業を継承して「法隆寺史編纂委員会」が発足し、近・現代までを網羅した法隆寺の通史の編纂体制が整えられた。大野は住職に就任して以来、体制強化を図るなど事業に熱心に取り組み、2018年には『法隆寺史 上―古代・中世―』(思文閣出版)が刊行された。

出 典:『日本美術年鑑』令和2年版(501頁)
登録日:2023年09月13日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「大野玄妙」『日本美術年鑑』令和2年版(501頁)
例)「大野玄妙 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/2041096.html(閲覧日 2024-07-27)

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