小高根太郎

没年月日:1996/04/28
分野:, (学)
読み:おだかねたろう

 日本美術史家、富岡鉄齋研究者で元鉄齋研究所所長、鉄齋美術館名誉館長の小高根太郎は、4月28日午前11時56分、心不全のため、東京都世田谷区内の病院で死去した。享年87。小高根は明治42(1909)年4月23日、福岡県久留米市に生まれた。本籍は東京都世田谷区世田谷4の656。旧制東京府立第一中学校から、父の転勤に伴って昭和2(1927)年旧制大阪府立北野中学校卒業。昭和5年旧制大阪高等学校卒業。昭和8年東京帝国大学文学部美術史科を卒業して同大学院に進み、昭和10年6月文部省所管、帝国美術院美術研究所(現・東京国立文化財研究所)嘱託となり、同17年5月まで勤めた。その後、文部省国民精神文化研究所、さらに同研究所の改編により教学錬成所(現・国立教育研究所)に勤務した。戦後は東京都立大山高校教員のかたわら、東京国立近代美術館調査員、東京工業大学非常勤講師を勤めた。また、昭和50年4月から同58年3月まで鉄齋研究所長を勤め、平成5年2月から没するまで鉄齋美術館名誉館長であった。早くから富岡鉄齋の研究に取り組み、美術研究所時代に「富岡鉄齋・公私事歴録」(『美術研究』65号、昭和12年5月)、「富岡鉄齋詩文集上・下」(『美術研究』70、71号、昭和12年10月、11月)、「富岡鉄齋の旅行記について 富岡鉄齋旅行記 公刊」(『美術研究』82号、昭和13年10月)を発表し、昭和19年2月には、今も鉄齋研究の基本文献である『富岡鉄齋の研究』(藝文書院)を刊行した。その後も、『富岡鉄齋』(養徳社 昭和22年)、『人物叢書・富岡鉄齋』(吉川弘文館 昭和35年)、『鉄齋』(朝日新聞社 昭和48年)、『鉄齋大成』全5巻(講談社 昭和51年)など生涯に鉄齋に関して約40点の編著書、論文を著わした。中でも昭和44年から没するまでの28年にわたって『鉄齋研究』(全71号)に、鉄齋作品約2000点について、賛文を読み起こし、その出典を和漢の浩瀚な書籍を博捜して明らかにし、訓読し解釈した作業は、鉄齋研究における金字塔であり、余人の追随できないもので、その業績は永く鉄齋研究の基礎となるものである。その作業を通じて、小高根は鉄齋旧蔵の稀観書を少なからず発見し、それらの一部は鉄齋研究所の収蔵に帰した。また、小高根は鉄齋作品の鑑識にもすぐれ、清荒神清澄寺法主坂本光聡、富岡鉄齋嫡孫富岡益太郎とともに鉄齋作品の再発見に貢献した。
主要編著書・論文
富岡鉄斎「公私事歴録」 『美術研究』65(昭和12年5月)
富岡鉄斎詩文集 上      『美術研究』70(昭和12年10月)
富岡鉄斎詩文集 下      『美術研究』71(昭和12年11月)
従軍画家としての寺崎廣業『美術研究』75(昭和13年3月)
富岡鉄斎の旅行記に就いて
富岡鉄斎の旅行記 公刊 『美術研究』82(昭和13年10月)
菱田春草 (美術資料第九輯)(美術研究所 昭和15年3月)
アーネスト・エフ・フェノロサの美術運動    『美術研究』110(昭和16年2月)
アーネスト・エフ・フェノロサの美術運動(二) 『美術研究』111(昭和16年3月)
富岡鉄斎 (養徳社 昭和22年3月)
平福百穂 (東京堂 昭和24年8月) 
无声会の自然主義運動   『美術研究』184(昭和31年4月)
富岡鉄斎 人物叢書56 (吉川弘文館 昭和35年12月 新装版 昭和60年11月)
富岡鉄斎 (日本美術社 昭和36年8月)
富岡鉄斎・日本近代絵画全集第14 (講談社 昭和38年3月)
鉄斎 (座右宝刊行会編 集英社発行 昭和45年5月)
鉄斎(共著) ( 朝日新聞社 昭和48年12月)
鉄斎・文人画粋編第20巻 (中央公論社 昭和49年10月)
富岡鉄斎・日本の名画   (中央公論社 昭和50年5月)
菱田春草 (大日本書画 昭和51年1月)
鉄斎大成:全5巻(共編著) (講談社 昭和51年9月―57年6月)
富岡鉄斎・現代日本絵巻全集第1巻 (小学館 昭和57年1月)
鉄斎研究・全71号  (鉄斎研究所 昭和44年12月―平成8年6月

出 典:『日本美術年鑑』平成9年版(347-348頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小高根太郎」『日本美術年鑑』平成9年版(347-348頁)
例)「小高根太郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10692.html(閲覧日 2024-04-24)

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