尾藤豊

没年月日:1998/08/26
分野:, (洋)
読み:びとうゆたか

 洋画家の尾藤豊は、心不全のため東京都北区の赤羽病院で死去した。享年72。大正15(1926)年3月、東京に生まれ、昭和18(1943)年、東京美術学校建築科に入学、戦中は学徒動員により江田島にて航空図面作成にあたり、同20年7月赤羽工兵隊に入営、終戦をむかえた。同22年、同美術学校を卒業、この年の前衛美術会の第1回展に参加、また同28年には、青年美術家連合展に参加した。この時期には、「失われた土地A」(同27年、宮城県立美術館)にみられるように、地元でおこった軍事基地問題に触発され、手足など人体の形を大胆に変形した群像を描き、政治、社会の問題を告発する「ルポジュタージュ絵画」の先駆けのひとりとなった。同45年からは、齣展に参加した。「日本のルポジュタージュ・アート」(同63年、板橋区立美術館)、「昭和の絵画 戦後美術―その再生と展開」(平成3年、宮城県立美術館)など、80年代以降、各美術館で戦後美術が回顧される企画展には、時代の証言としてその作品がたびたび出品された。 

出 典:『日本美術年鑑』平成11年版(424頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「尾藤豊」『日本美術年鑑』平成11年版(424頁)
例)「尾藤豊 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10669.html(閲覧日 2024-03-29)

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