塩見仁朗

没年月日:1996/04/06
分野:, (日)
読み:しおみにろう

 創画会会員の日本画家塩見仁朗は4月6日午前6時16分、心不全のため京都市北区の社会保険京都病院で死去した。享年67。昭和4(1929)年宮崎市に生まれる。同26年京都市立美術専門学校日本画科を卒業し、同研究科へ進学する。在学中の、同29年第18回新制作協会展に日本画「青島風景」で初入選。同31年京都市立美術専門学校研究科を卒業する。同36年第25回新制作展に亜熱帯の植物を描いた「林間緋桐A」「林間緋桐B」を出品して新作家賞を受賞。同40年第29回同展に「樹陰青熟」「樹間白花」を出品して新作家賞、同42年第31回同展に「樹叢間隙」「樹陰白光」を出品して新作家賞を受賞し、翌43年第32回同展でも同賞を受賞して、同44年同会会員となった。同49年新制作協会日本画部が同会を連袂退会して創画会を結成するのに参加し、同会設立会員となる。同52年より57年まで京都日本画専門学校副校長をつとめ、平成4年から京都市立芸術大学客員教授となって教鞭を取った。初期には火山に興味を抱き、桜島、霧島などを描いた作品が多いが、昭和30年代後半から奄美、沖縄、南太平洋の島々などを訪れ亜熱帯、熱帯の植物をモティーフに生命の横溢する情景を神秘的雰囲気で描いた。

出 典:『日本美術年鑑』平成9年版(345-346頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「塩見仁朗」『日本美術年鑑』平成9年版(345-346頁)
例)「塩見仁朗 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10586.html(閲覧日 2024-04-19)

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