日下八光

没年月日:1996/03/23
分野:, (日)
読み:くさかはっこう

 東京芸術大学名誉教授で装飾古墳壁画の模写で知られる日本画家日下八光は3月23日午後5時45分、肺機能障害のため東京都清瀬市の国立療養所東京病院で死去した。享年96。明治32(1899)年9月18日徳島県那賀郡羽浦町大字岩脇に生まれる。本名喜一郎。大正13(1924)年東京美術学校日本画科を卒業。昭和3(1928)年から4年にかけて大谷光瑞の請来品で当時、朝鮮総督府博物館所蔵となっていた西域壁画を東京美術学校の委嘱により模写し、同6年より約10年にわたり当時の帝室博物館で古画の模写に励む。この間、同12年東京府豊島師範学校講師、同15年東京府女子師範学校講師をつとめる。同18年より東京美術学校に奉職し、同19年同校助教授、同20年同校教授となった。この間、昭和5(1930)年第11回帝展に「錦の秋」で初入選。この後、同7年第13回帝展に「晩秋」を出品し、後第15回帝展、第5、6回新文展、第2、5回日展に出品し、官展でも活躍した。同28年から30年にかけて文化財保護委員会の委嘱により宇治平等院鳳凰堂装飾画の現状模写および復元を行い、つづいて同30年から同じく文化財保護委員会の委嘱により装飾古墳壁画の模写に従事した。陰湿な古墳内部での模写作業に忍耐強くのぞみ、技法、画法等に関する学究的な姿勢を失わず、模写を手がけた古墳についての研究書として昭和42年に朝日新聞社から『装飾古墳』を刊行。また模写された絵画は同44年2月から3月にかけて東京国立博物館で行われた「装飾古墳模写展」ならびに、平成5年国立歴史民俗博物館で開かれた「装飾古墳の世界」展に展示された。経年変化や表面の凹凸により明瞭に認識できない古墳壁画を、美術材料学、考古学、美術史学などの学識者の研究成果をもとに現状模写、復元模写し、関連学界の調査研究に寄与した。昭和42年東京芸術大学を定年退官し、同学名誉教授となった。著書に『装飾古墳の秘密』(講談社)、『東国の装飾古墳』(近刊)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成9年版(345頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「日下八光」『日本美術年鑑』平成9年版(345頁)
例)「日下八光 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10585.html(閲覧日 2024-04-19)

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