油井一二

没年月日:1992/07/21
分野:, (美,関)
読み:ゆいいちじ

 美術年鑑社社長で美術品蒐集家でもあった油井一二は、7月21日午後7月18分、肝不全のため東京都渋谷区の東海大学病院で死去した。享年82。明治42(1909)年10月30日、長野県北佐久郡に生まれる。大正13(1924)年三井尋常小学校高等科を卒業し、家業の自作農を継ぐが、昭和3(1928)年肋膜炎を患い、療養中に上京を決意。同年5月に上京して神東電業社を経営する義兄のもとで働きつつ、電気学校の夜間部で学んだ。同6年末、東亜美術協会に絵画の出張販売員として入社。同7年釜山、京城などに出張するが、同年4月、仕事に行き詰りを感じて東亜美術協会を退社する。その後、証券会社等へ転職を試みたのち、同8年1月、東洋美術協会に外交員として入社し再び絵画販売に従事する。同9年6月、荒井辰之助、清水栄一郎と共同出資し、日東美術協会を創立。以後、中国東北部、朝鮮半島、台湾等まで販路を広めた。同12年より14年まで、日中戦争に従軍し、同14年10月、日東美術協会を独力で再開。同16年11月、東京・上野広小路に美術店を開いた。戦後、同22年、肖像画の制作依頼を業務の一環として始めた。同23年、山田正道から「美術年鑑」復刊の相談を受け出資。同25年鉄販売、同28年人造米製造などを試みるが、同29年武者小路実篤の助言を得て再び絵画販売を始め、現代日本画を中心に販路を開いて成功をおさめた。同40年「美術年鑑」の権利を創刊者山田正道から買いとり、同年株式会社美術年鑑社を設立してその代表取締役社長となった。同46年「新美術新聞」を創刊。出版、絵画販売の一方で蒐集した作品の一部は郷里佐久市に寄贈し、同58年に開館した佐久市立近代美術館は、約780点の油井コレクションを母体としている。同館には平成2年に油井一二記念館が併設され、没後の同5年7月、同館で「開館10周年記念展「近代日本美術の流れと油井コレクション」が開催された。著書に『美の宝庫』(昭和51年、美術年鑑社)、自伝『風呂敷画商一代記』(同63年)、続風呂敷画商一代記『片目の達磨』(平成2年)等がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(321-322頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月26日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「油井一二」『日本美術年鑑』平成5年版(321-322頁)
例)「油井一二 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10497.html(閲覧日 2024-04-19)

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