江本義理

没年月日:1992/04/11
分野:, (学)

 前東京国立文化財研究所保存科学部長で、文化財の非破壊検査など保存科学の権威であった江本義理は、4月11日午後3時、膿胸による食道大動脈破裂のため横浜市金沢区の横浜市立大病院で死去した。享年66。大正14(1925)年7月3日、東京市下谷区に、生物学者江本義数の長男として生まれる。学習院初等科、中等科、高等科を経て昭和20(1945)年4月東京帝国大学理学部化学科に入学。同23年3月同科を卒業して、同年4月から法隆寺国宝保存工事事務所の委嘱により、法隆寺壁画の調査に参加した。同年12月、国立博物館保存修理課保存技術研究室勤務となる。以後官制の変更にともない同25年9月、文化財保護委員会保存部建造物課保存科学研究室勤務、同27年4月東京文化財研究所保存科学部化学研究室勤務、同29年4月東京国立文化財研究所保存科学部化学研究室勤務となった。同42年3月、同部主任研究官、同46年5月同部化学研究室長となり、同50年4月から同62年3月停年退職するまで保存科学部長をつとめた。この間、同42年4月から平成4年4月まで東京芸術大学美術学部講師、同58年4月から同63年9月まで図書館情報大学講師、同63年4月から平成4年4月まで早稲田大学第一文学部講師、同63年6月からは永青文庫常務理事をつとめた。東京国立文化財研究所を退職後は、同所名誉研究員となったほか、平成2年4月に、同62年4月から講師をつとめていた昭和女子大学生活美学科教授となった。戦後、わが国の文化財の科学的調査方法が未確立な状況の中で、他分野の検査方法を文化財調査に取り入れる試みを続け、昭和30年、サイクロトロンによる放射化分析を行ない、その後は蛍光X線分析法を導入した文化財の析質調査・研究に力を注いだ。同34年に国の重要文化財に指定され、その後真贋が問題となった「永仁の壷」の調査に当たって用いたのもこの方法で、その調査結果が決定的な証拠となって同作品は36年3月31日に重要文化財指定を解除されている。こうした材料分析の他、文化財保存にも尽力し、同47年に発見された高松塚古墳壁画の保存のほか、敦煌、エジプト・ルクソールの王家の谷等、海外の文化財保存にもたずさわった。学界においても、文部省学術審議会専門委員、日本学術会議考古学研究連絡委員会委員、日本文化財科学会理事、同評議員、古文化財科学研究会副会長などをつとめた。主要論文に「古文化財の材質調査における蛍光X線分析法の利用」(「美術研究」220)、「蛍光X線分析による土器・瓦中の鉄・ルビジウム・ストロンチウム・イットリウム・ジルコニウムの定量」(「保存科学」16号)、“Coloring Materials Used on Japanese Paintings of the Protohistric Period & Related Topics”(第7回国際研究集会プロシーディングス)等があり、没後に『文化財をまもる』(アグネ技術センター刊)が刊行されている。年譜は同書に詳しい。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(314-315頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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