吉田光邦

没年月日:1991/07/30
分野:, (学)
読み:ヨシダ, ミツクニ*、 Yoshida, Mitsukuni*

 京都大学名誉教授で京都府京都文化博物館長であった東洋科学技術史家吉田光邦は、7月30日午前1時33分、急性心不全のため、京都市左京区の京都大学医学部付属病院で死去した。享年70。大正10(1921)年5月1日、愛知県西春日井郡に生まれる。愛知一中、第八高等学校を経て、京都大学理学部に入学。昭和20(1945)年、同大理学部宇宙物理学科を卒業し、龍谷大学予科教授となる。同21年、東方文化研究所嘱託となり、同24年京都大学人文科学研究所に助手として入所。同33年同所講師、同35年同助教授、同52年同教授となった。この間、同31年京大学生イラン調査隊長として海外調査し、同34年、39年には京大イラン、アフガニスタン、パキスタン学術調査隊に隊員として参加。東南アジア諸民族の物質文化を調査した。人の技術として産業、芸術をとらえ、同30年『日本科学史』、同35年『砂の十字路』、同38年『錬金術』、同41年『やきもの-技術・生活・美学』、同45年『明清時代の科学技術史』(藪内清と共著)、同47年『中国科学技術史論集』などを刊行。同44年に京都大学より文学博士号を受けた。同40年後半から19世紀の日本を研究対象とするようになり、同53年京都人文科学研究所共同研究班「一九世紀日本の情報と社会変動」を主宰。特に万国博覧会を19世紀の特色ある事象ととらえ、同60年『万国博覧会』、同61『万国博覧会の研究』を刊行した。同59年京都大学人文科学研究所所長に就任。また、同年日本産業技術史学会を設立して同学会会長となった。同61年京都大学を退官し同大名誉教授の称号を受ける。平成2年京都府京都文化博物館長、同3年京都造形大学教授に就任。朝日陶芸展審査員のほか、京都府文化財保護審議会委員、文化庁文化財保護審議会専門委員、国立歴史民俗博物館評議員などもつとめた。著作には、他に『吉田光邦評論集1~3』(昭和59年)、『日本と中国-技術と近代化』などがある。

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出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(299頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「吉田光邦」『日本美術年鑑』平成4年版(299頁)
例)「吉田光邦 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10484.html(閲覧日 2021-01-23)
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