林沐雨

没年月日:1991/04/29
分野:, (工)

 清水焼の伝統的作風を守りつつ、海外でも通用する陶磁器を目指し、団体に属さずに制作を続けた陶工林沐雨は、4月29日午前3時10分、肺炎のため京都市の病院で死去した。享年90。明治34(1901)年4月5日、清水焼の陶工林祥山を父に、京都市東山区に生まれる。本名義一。京都市立六原小学校に学び、大正5(1916)年より父に陶業を学ぶ。同8年、父祥山死去。同10年より宮内省御用品製造所・娯情堂で磁器製造を修得するが、関東大震災により同製造所が閉鎖されたため、同14年より独立。林家伝来の作風である仁清・乾山様式に学んだ作品を製作。昭和3(1928)年、低火度の赤火色透明釉を新たにつくり出し、交趾釉や和絵具として用いた作品を製作して輸出にも供した。その後一時病気のため休業。同7年5世清水六兵衛に入門し、同11年まで師事。同年独立して沐雨と号し自らの作風を追求し、京都府工芸美術展などに入選する。同13年ハワイの商社の依頼によってハイビスカスの置物の製造を始め、これ以後海外向けの作品を中心に制作するようになる。第二次世界大戦中は海外への輸出は途絶えたが、同24年、輸出装飾品の製造を依嘱され、海外向けのデザイン、製形などを案出。ハワイの商社を通じロスアンゼルス、シカゴ、ニューヨークなどに進出し、各地の食器店内に個別の一区画ができるほどの人気を博した。同45年西ドイツのフランクフルト市で開催された国際見本市に出品したほか、ジェトロ主催のロンドン・ギフトアイテム特別展示会にも出品し、ヨーロッパでも高い評価を得ることとなった。清水焼の伝統を保ちつつ、モダンな感覚を取り入れた作風を追い求めて広く親しまれた。戦後間もない同23年、京都府により伝統工芸技術保持者に認定されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(295頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「林沐雨」『日本美術年鑑』平成4年版(295頁)
例)「林沐雨 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10294.html(閲覧日 2021-01-24)
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