津田季穂
カトリック聖母献身宣教会修道士、洋画家の津田季穂は、7月23日肺炎のため神戸市立中央市民病院で死去した。享年81。旧姓神吉。隻眼隻脚の絵を描く修道士として知られた津田は、1899(明治32)年11月23日栃木県日光の内科病院長神吉翕次郎の五男として生まれた。1914(大正3)年、事故で右眼を失い、同年叔母の津田姓を継ぐ。19年第6回院展に「山村」が初入選、以後同展に出品したが22年日本美術院洋画部解散にともない団体展から離れた。24年上海に渡航、26年に帰国後漁師になろうとして和歌山県田辺に住む。40年に稲垣足穂の『山風蠱』の装釘にあたり、以後稲垣、石川淳、辻潤らと交友した。43年7月18日洗礼を受け、受洗後は徳島県鳴門市に住む。45年結核性骨髄炎に罹り右足を切断する。48年には鳴門の画会グループによる「ベニウズ」会に参加、以後毎年出品するとともに、67年福岡フォルム画廊での個展を最初に、大阪日動画廊(71年)、日動サロン(72年)、大阪高宮画廊(73-80年)、ギャルリー・ワタリ(76年)などで個展を開催した。この間、70年、77年、78年の3回欧米等に旅行する。80年には高宮画廊から画集が刊行された。遺作に、「雑木林」「教会の見える風景」「十字架の道行」「自画像」「夜明け前」等がある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(280頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「津田季穂」『日本美術年鑑』昭和57年版(280頁)
例)「津田季穂 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10150.html(閲覧日 2024-10-10)
例)「津田季穂」『日本美術年鑑』昭和57年版(280頁)
例)「津田季穂 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10150.html(閲覧日 2024-10-10)