米田三男之介
現代美術家協会常任理事の洋画家米田三男之介は9月5日心不全のため千葉県夷隅郡の大原病院で死去した。享年68。大正2(1913)年2月26日愛媛県上浮穴郡に生まれ、昭和4年日本美術学校洋画科に入学し大久保作次郎に学び、同8年卒業する。同10年第12回白日会展に出品、この年京都で日本画を学び、関西美術院にも出入する。戦前からシュール・レアリスムの流れをくむ作風を示し、戦後は会員として二科展に出品し、同25年九室会にも所属する。同26年、51年協会に参加、同30年には美術文化協会会員となり、以後同展に出品し常任理事をつとめる。同40年、現代美術家協会会員(のち常任理事)となり、死去の年まで同展に制作発表を行う。二科展に「たそがれ」(33回)、「老樹」(34回)、「火炎樹」(35回)、美術文化協会展に「噴花」(15回)「ジュラ紀」(17回)、「月とピエロ」(19回)、「年輪」(23回)、現代美術家協会展に「誘蛾燈」(23回)、「孤独のくじゃく」(25回)、「太陽と森」(33回)、「波」(36回)などの出品作がある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(290頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「米田三男之介」『日本美術年鑑』昭和58年版(290頁)
例)「米田三男之介 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10147.html(閲覧日 2024-10-10)
例)「米田三男之介」『日本美術年鑑』昭和58年版(290頁)
例)「米田三男之介 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10147.html(閲覧日 2024-10-10)