辰巳ヨシヒロ

没年月日:2015/03/07
分野:, (漫)
読み:たつみよしひろ

 漫画家の辰巳ヨシヒロは、3月7日悪性リンパ腫のため亡くなった。享年79。
 1935(昭和10)年6月10日、大阪府大阪市天王寺区に生まれる。本名辰巳嘉裕。中学時代に手塚治虫の漫画に出会い、また手塚宅を何度か訪ねたことから本格的に漫画を描くようになり、『漫画少年』などに投稿をする。52年に描いた『こどもじま』(鶴書房、1954年)で単行本デビュー。54年、大阪の貸本漫画出版の八興社・日の丸文庫でスリラー『七つの顔』を発表、以後同出版社でスリラーものを手がけていく。56年、日の丸文庫が刊行した短篇誌『影』に主要な描き手として活躍、後に編集にも関わる。同年上京。57年頃に貸本漫画界は探偵・推理ものブームとなり、辰巳は、少年向けの楽しい、明るい、笑いを中心とした漫画と自分たちの系譜を分けるために「劇画」という名称を打ち立てる。59年に東京・国分寺ことぶき荘で「劇画工房」の設立に参加、短編誌の発行と自主出版を目指したが1年ほどで解散となる。63年出版社「第一プロダクションを」を設立。60年代末からの劇画ブームのなかで、自身の位置を模索しつつ、週刊誌で原作付き連載をこなすが、辰巳本来の特徴を示すのは、「おれのヒットラー」(『劇画マガジン』、1969年)などにみられるように、おもに社会の下層労働者や鬱屈した人々を描いた暗いムードの作品である。青年漫画誌『ガロ』や自身の出版社「ヒロ書房」を舞台として発表を行なう。楕円形の顔立ちの無口な男性主人公が多く、とくに短編集『人喰魚』(ヒロ書房、1970年)は、ブルーフィルムの「写し屋」、ラッシュアワー電車の「押し屋」、籠の鳥に自分をみる男の「ひも」、タレントに異常な恋慕をする男の「事故死」など、彼の劇画色が発揮されている。同書は72年第1回日本漫画家協会賞努力賞受賞。90年代にはひろさちや原作で仏教漫画に取り組む。2000(平成12)年以降、海外での評価も高まり、主な作品が英語、フランス語をはじめ8カ国語に翻訳出版されている。大人の漫画をつくった功績により、05年にはフランスのアングレーム国際コミック・フェスティバルで、06年にはサンディエゴ・コミック・コンベンションで特別賞を受賞。11年にはシンガポールの映画監督エリック・クーによって辰巳の作品を原作としたアニメーション『TATSUMI』が製作されている(日本公開2014年)。自身の伝記的要素を踏まえた『劇画漂流(上下)』(青林工藝社、2008年、のち講談社漫画文庫、2013年)は、『まんだらけマンガ目録』などに12年にわたり連載された劇画史を描いた力作で、09年手塚治虫文化賞大賞、10年アイズナー賞最優秀アジア作品に選出された。『劇画漂流』の活字版といえる『劇画暮らし』(本の雑誌社、2010年、のち角川文庫、2014年)もある。

出 典:『日本美術年鑑』平成28年版(531-532頁)
登録日:2018年10月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「辰巳ヨシヒロ」『日本美術年鑑』平成28年版(531-532頁)
例)「辰巳ヨシヒロ 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/808996.html(閲覧日 2024-04-30)

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