関野凖一郎

没年月日:1988/04/13
分野:, (版)

 日本版画協会理事、国画会会員の版画家関野凖一郎は4月13日午前5時45分、肺ガンのため東京都新宿区の東京医科大学病院で死去した。享年73。大正3(1914)年10月23日青森市に生まれる。青森県立青森中学校在学中に、学友の根市良三の版画に感銘して版画を始める。昭和8(1933)年青森中学を卒業、今純三に銅版画と石版画を学ぶ。11年文展(第二部)にエッチング「河畔」で初入選。13年日本版画協会会員となる。14年に上京し鈴木絵画研究所で油絵を学ぶ一方、恩地孝四郎にも師事。15年日本エッチング協会を設立する。国画会展にも出品し22年同会会員となる。戦後は、32年アジア・アフリカ国際美術展など国際展に多く出品して注目され、33年ロックフェラー財団の招聘により渡米し、一年間アメリカ各地で版画の講義を行なう。35年アメリカ・ノースウエスト国際版画展に「フィレンチェの屋根」を出品してシアトル美術館賞受賞。36年リュブリアナ国際版画展では「花・墓・車」三部作で特別賞を受ける。38年フォード財団の招きで再び渡米しロスアンゼルスのタマリンド石版研究所で石版画を制作する。43年日本美術家連盟常務理事となる。50年、版画集「東海道五十三次」で芸術選奨文部大臣賞受賞。創作版画の創成期にあたって、戦後日本の版画が国際的に評価されるとその代表的作家の一人として活躍した。肖像、裸婦、風景を主な題材とし、木版、銅版、石版など多様な技法を用いた。多作であり、私家本も多く制作したが、一方著作もよくし『版画を築いた人々』『わが版画師たち』『文人画像』『木版画の楽しみ』など、日本近代版画史、版画技法についての著書を刊行している。

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(260-261頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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