武藤清

没年月日:1989/03/12
分野:, (建)

 日本最初の超高層建築、霞が関ビルを設計し日本の「超高層建築の生みの親」と言われた東大名誉教授の建築家、武藤清は、3月12日午前8時30分、急性心不全のため東京都新宿区の自宅で死去した。享年86。明治36(1903)年1月29日、茨城県取手市に生まれる。大正14(1925)年東京帝国大学工学部建築学科を卒業。同科在学中の大正12年に関東大震災を経験し、耐震建築の研究を始める。昭和10(1935)年東京帝国大学教授となり、さらに本格的に耐震構造や地震工学に取り組み、木造五重塔の耐震性に注目して、地表の震動を建築構造内で吸収する「動的設計法」を打ち立て、また、構造物の振動解析を行なう「耐震計算法」を生み出すなど、地震国日本では不可能とされていた超高層建築を可能とする柔構造理論を打ち立てた。同38年東京大学を退官して同大学名誉教授となり、のち、鹿島建設副社長に就任。同43年には、当初15、6階建てで計画されていた霞が関ビルを36階建てに自ら構造設計し、日本最初の超高層建築を実現させた。のち、新宿三井ビル、世界貿易センタービル、新宿京王プラザホテル、サンシャイン60、赤坂プリンスホテル新館など超高層ビルの構造設計を担当。東京都庁新庁舎の構造設計も手がけた。この間、日本建築学会会長、国際地震工学会会長などをつとめ、昭和39年日本学士院賞恩賜賞受賞、50年日本学士院会員、54年文化功労者となり、58年文化勲章を受けた。日本の伝統建築をもとに、その地理国土に適した新しい構造によって超高層を可能とし、高度経済成長期以降の都市景観を大きく変化させ、また国際的にも、地震多発地域の耐震建築法を提起して、多大な影響をおよぼした。

出 典:『日本美術年鑑』平成2年版(236-237頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「武藤清」が含まれます。
to page top